法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

現代日本の人種差別は曽野綾子の目に映らない

2月11日、産経新聞に掲載された曽野綾子コラムがアパルトヘイトを容認しているとして、多くの批判にさらされた。
http://www.asahi.com/articles/ASH2J5SYDH2JUTIL04H.html
文化人類学者の亀井伸孝氏も、アパルトヘイトの歴史とてらしあわせて批判している。
「文化が違うから分ければよい」のか――アパルトヘイトと差異の承認の政治 / 亀井伸孝 / 文化人類学、アフリカ地域研究 | SYNODOS -シノドス-
批判記事の冒頭で、他にも複数の論点でコラムが問題視されていることも指摘されている。

移民に対する蔑視、女性への偏見、介護労働に関する誤解、ベストセラー作家としての影響力と過去の言動、現在の政権与党との近さなどの点が、議論の俎上に乗せられた。

その亀井氏のツイッターで、曽野氏からNPOへ3月2日に回答があったことを知った。


そしてNPOの抗議文ページに追記された回答文を読んだところ、あまりの“見えてなさ”に頭をかかえた。
産経新聞 曽野綾子さんのコラムへの抗議文

 戦前の日本にさえ、出自や学歴に関係なく、有能な人材に働いてもらいたいという希望は色濃くありました。日本にはそれほど強固な能力主義の歴史があります。

アッハイ、たしかに曽野氏は戦前生まれです。
冒頭からこれだ。曽野氏の立場で戦前から能力主義の歴史が日本にあったと主張しても、まったく説得力がない。
たとえ「希望」が理想としてあったとしても、それが実体として「強固」にあったことは意味しない。「有能」という特別な人材を重用することは、学歴社会であることと相反しない。

文化には、自然に特微があります。アジア系の人々は米と魚を多く食べます。ヨーロッパに住む人たちは、小麦のパンと、牧畜の成果による肉を食べます。歴史的に、中東には一神教が生まれ、アジアには多神教の世界が出現しました。私はこうしたきわめて自然で人間的な習慣や嗜好を、その人たちのために存続したい、という素朴な願いはずっと持っています。

アッハイ、曽野氏の考えは素朴です。
これは自然主義的誤謬につらなる主張としか思えない。歴史的にそうであることと、必然的にそうなったことは、同じではない。そもそも曽野氏自身が日本において一神教カソリックを信仰している。発祥した地域に文化を固定化する発想は、自己矛盾だろう。
アジアとヨーロッパという区分も乱暴だ。人種差別性が指摘されたことへの回答と思えない。事実としても、ヨーロッパも海に面した地域では海産物が昔から食べられていたし、逆にアジアで魚を食べない地域は今でも多い。小さな日本ですら内陸部は魚を食べられなかった歴史がある。

 私は小説家です。小説は日本語では小なる説という意味です。つまり一人一人の思いを掬いあげて、優劣や善悪を単純に考えて裁かず、大切に書き留める仕事です。その内容は私―人の考えで、他者や他の団体を代表するものではありません。アパルトヘイトを私は推奨したことは一度もありません。南アフリカで不幸な結果をもたらしたその制度は、日本には幸いなことにありませんでしたから、推奨する理由が全くありません。

アッハイ、ひとつの段落で語るに落ちてます。
他者や他の団体を代表しないなら、人種隔離政策が日本になかったとしても、曽野氏個人とは関係がない。かつて問題がなかったことは、いま指摘されている問題がないことを意味しない*1

 どこの国にも、同じ外国に生まれた人が集って住む、自然発生的な特別な地区はあるものです。しかし現在の日本には、宗教的な対立もなく、ましてや人種の差別など見たこともありません。あくまで能力主義が基本です。私は他のお国がなさることを理解しようとは努めますが、それを改変させるような無礼は考えたこともありません。

アッハイ、他国に能力主義がないという発想が差別です。
ここで曽野氏は同じ過ちをくりかえしている。「自然発生的」と状況を追認し、社会を人が構成している責任から目をそらす。日本に差別がないという認識を、自分が差別していないという認識と混同させようとする。
何より、たしかに不可視化されているとは感じるものの、人種差別が現在の日本にないと主張するのは、さすがに見えている景色が違いすぎる。
カナロコ|神奈川新聞ニュース
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2014122402000155.html
http://www.asahi.com/articles/ASF0TKY201312210101.html

*1:この没論理ぶりは、具体的に奴隷制と批判された問題について、日本の歴史に奴隷はいないと主張して反論したつもりになっている人々を思い出す。http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20150224/1424837246