法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『獣の奏者エリン』第50話 獣の奏者

ついに最終回。これで最後ということもあって作画の見所もいくつか。最初で最後な、背景動画らしい背景動画の見せ場もあった。


今回分の正直な感想としては、おさまるべきところにおさめたものの、大きな驚きはなかった。下手に奇をてらうよりは楽しめたのだが、サイコロ使いに活躍がなかったところとかの細部で不満が残る。ラストカットも母と娘の絵で終わらせるのでなく、順番を入れ替えて娘と子の姿にするべきだったと思う。せっかく未来への希望をたくした結末なのだから。
良かったところとしては、人と獣の関係が最後の最後で変わり、その絵がまさに獣の親が子を助けるしぐさである場面など。また、EDが音楽のみで、一年間の物語が伝説になったことを示す絵であったことは、全体のしめくくりとして良い印象を残した。


個別感想では毎回のように文句をつけていた感じもするが、シリーズ全体の感想は悪くない。
まず、3DCGを用いたレイアウトシステムがあるとはいえ、最後まで作画が破綻することなく、異世界を表現しきって見せたのは素晴らしい。あまり言及されないが、背景美術の力が現われている。舞台も世代も大きく変化しながら、根本的な違和感が出ないのは珍しい。普通なら、どこかで気が抜けて現代日本らしい風俗を出してしまうし、あるいは視聴者との共犯関係でギャグとしてやらかしてしまう。IG作品らしい真面目さが、良い意味で現われていたと思う。作画の楽しみは少なかったが、表現主義的な絵がアニメーションとして動く面白さは定期的にあったし、細かな日常芝居もがんばっていた。
演出面では、ほとんどの回で連名演出していた布施木一喜の存在に注目……とはいえ、どこが凄いのか私にはわからない*1。それでもコンテを手がけた回は撮影にこり、同じ場面をくり返すことで映像のリズムを作っていて、深く印象に残った。監督コンテ回で多用された暗喩演出と並んで、演出の方向性を決定づけたといっていいだろう。暗喩といえば、イメージ的な作画や暗示表現を多用することで、映像の衝撃だけにたよらず残酷な場面を描いてきた方針も、良心的と感じた。
物語については、良くもあり悪くもあり。獣との関係性を変化させながら、建国神話の虚構が明かされていく基本線は、マンガ版『風の谷のナウシカ』を思い出させつつも、良く出来ていたと思う。しかし細部は、原作小説を読んでいないので、どの程度まで改変したのかわからない。原作者がアニメーション監修として入っているのも判断に迷う。ただ、大幅に内容をふくらませたといった指摘は知っており、序盤で早々と死ぬらしい母の逸話をふくらませたという話が真実なら、良い判断だと思う。しかし序盤はナレーションが多すぎると感じたし、前半の途中からは予想した展開をなかなか超えてくれなかった。また、様々な登場人物が必要なだけしか描写されず、未整理になるよりは良いものの、物語がふくらむこともなかった。
音楽も全般的に良かった。アニメ主題歌らしい平易な言葉で歌詞が作られつつ、きちんと物語に合致している。作品の世界観と曲の雰囲気も合っていた。映像とのマッチングも良い。特にスキマスイッチの主題歌は前後期ともに記憶に残る。また、番組的なしかけとして、OPやEDが幾度となく特別版になるのは楽しめて良かった。回数が多かったので途中から衝撃は薄れたが、スタッフが作品を大切に扱っている感じはあった。

*1:たとえば演出作業だけでも個人のコネクションでスタッフを集められる人などがいるわけだが、全話で手がけられると他の回と比較して確かめることもできない。一ついえるのは、全体に手を入れられる役職なので、破綻の無さを手助けしていた可能性が高いというくらい。