法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

よくわかる現代魔法変身少女

『フレッシュプリキュア!』第45話 4人はプリキュア!クリスマスイブの別れ!! - 法華狼の日記で書いたことを発展させ、現在の少女にとって恋愛はワンオブゼムにすぎない、と社会時評っぽく主張してみる。
必ずしも男性の興味を引くためでなく、自己実現のためファッションを選択する現代社会というテーマでプリキュアを切り取ることができるのではないか、そう思ったのだ。


念頭にあるのは曾野綾子ミニスカート問題。ミニスカートのような扇情的な服装をしていて性犯罪被害者になれば、被害者にも責任があると曾野氏が新聞紙で主張した、例の暴論だ。
実際には大人しい服装をしているほど、反撃されないと性犯罪者は考え、加害対象に選ぶというというデータがある。加えて、髪を短くして染めたことが自衛になるという議論もあった。
Non-Fiction(Remix Version) | リスク管理ごっこで人を傷つける人たち
Non-Fiction(Remix Version) | リスク管理というなら、このくらいは考えてよね
短い茶髪、ヘソを出して動きやすい服装、格闘技術……そう、単純に自衛を主張するなら、『ふたりはプリキュア』のキュアブラックが理想なのだ。画像を引用すれば一目瞭然。

もちろん、性犯罪は知人関係でも行われる問題であり、単純な自衛のためにキュアブラックのような服装をすることなどナンセンスだ。そしてプリキュアを見ていると、主人公達は自衛のためでないことはもちろん、曾野氏が考えるような発想で変身*1しているわけではないと感じられる。それはフィクション論という枠を超えて、現実の嗜好変化を反映しているのではないかと思えるほどだ。


美少女戦士セーラームーン』シリーズから『キューティーハニーF』、『おジャ魔女どれみ』シリーズ、『明日のナージャ』を経て『プリキュア』シリーズへといたる少女作品群*2を見ていくと、主人公少女の恋愛対象となる男性キャラクターは、一貫して物語における比重が軽くなっている。
セーラームーン』は、初代こそタキシード仮面という男性キャラクターに主人公は助けられており、敵との因縁にも男女の恋愛要素が強く関わっていた。しかしシリーズを重ねるにつれて敵も変わり、自然とタキシード仮面の存在感は薄れ続け、敵との和解が物語の要素として残るようになった。
キューティーハニーF』は永井豪原作*3の著名な少女アニメをリメイクしたもの。原典が戦闘少女の極北に近い作品であり、敵味方ともに女性キャラクターの存在感が絶大であったことを思えば、恋愛描写を大きく取り入れた本作は後退している感もある。しかし、主人公が変身アイテムを持つだけの普通の少女だったこと、ライバル的な戦闘少女を中盤から登場させたことは、色々な意味で特異的だった原作を普通の少女同士の関係性に落とし込む効果があった*4
おジャ魔女どれみ』は、最初の主人公が魔女になる動機こそ恋愛感情がらみだが、物語の中心はクラスメートとの関係性にある。大きな社会や異世界での多様な出来事を一話完結で描き、恋愛は一面にすぎない。長期シリーズのTV最終回では主人公の恋愛を薄っすら描いていたが、相手となる男は顔がない無名の存在だった。あくまで冒頭を受けて物語を閉じる方便にすぎなかったわけだ。
明日のナージャ』は企画の成立が古いこともあって、主人公が憧れの青年二人と三角関係になる古典的な内容ではある。一見すると例外的だ。しかし、中盤からナージャと因縁を持つ少女ローズマリーとの対決が物語の中心をしめるようになり、最終回においてナージャは青年に対する恋愛感情を決着させず、自己実現の扉を開いていく。むしろ古い企画を現代的な感覚で作品化した結果の分裂と感じた。
ふたりはプリキュア』に始まったシリーズは当初、西尾大介SDが直前に手がけた少女格闘アニメ『エアマスター』からの影響が色濃く、幼い少女が肉弾戦で敵を倒す印象だけが強かった。しかし視聴対象の好みに合わせ、徐々に古典的な魔法アクションに戻っている。実際にシリーズ当初の試みが定着したのは、少女の肉弾戦という点よりも、物語における恋愛の希薄さだ。初代主人公の一人である美墨なぎさは、先輩への思慕を表明してはいる。しかし敵との戦いに先輩がかかわったことは全くといっていいほどなかったし*5、シリーズの要所でピックアップされることもなかった。ただ普通の少女ということを示すため、恋に恋する姿が描かれただけといっていい。『ふたりはプリキュア』の物語的なピークが、プリキュア同士の結びつきが生まれる瞬間を描いた第8話*6にあったのは、偶然ではないだろう。
さらに、自己実現というテーマを行き着かせた『yes!プリキュア5』は、恋愛感情を成長の一媒体としつつも、自立する少女にとって必要充分な存在ではないことを明示していた。恋愛描写のある少女も、恋愛描写のない少女も、等しくそれぞれの夢に向かって踏み出すドラマが描かれていたのだ。
そう考えれば恋愛描写を前面に押し出すかに思えた『フレッシュプリキュア!』が、敵であり後に仲間となるイースとの関係構築に尺を大きく割いたことも、予期できることではあった。


なお、上記作品群の放映枠は土曜夕方から日曜朝方へ大きく移動しており、実際の流れはいうほど単純ではない。
日曜朝方の前枠には、少女マンガ原作のトレンディドラマ風アニメ『ママレード・ボーイ』『ご近所物語』『花より男子』三部作があり、作品の完成度を高めつつも最終作で商業的に失敗したこと。そして『おジャ魔女どれみ』との中間に、児童向け小説が原作の佐藤順一SD作品『夢のクレヨン王国』が放映されたことは注意しておく。
また、女児向けアニメをほとんど見ていないので、少女全体の嗜好変化にまで適用することには、異論反論は多々あるだろう。それでも『プリキュア』シリーズにはほとんど目を通してきたつもりなので、当該シリーズにおいて恋愛が物語における重要性を失っていく流れは確実だと思っている。
恋愛することしないこと、その選択は自由であるべきだし、実際に自由になるよう社会は進んでいる。そう信じる。

*1:つまり広義のファッションだ。

*2:佐藤順一SDから五十嵐卓哉SDが担当していった、テレビ朝日系列で放映された女児向け東映アニメーション作品。講談社がからみつつ、東映のオリジナル色が強いことも特色。番外として、『セーラームーン』シリーズから枝別れした『少女革命ウテナ』を加えてもいいだろう。

*3:企画自体は東映でのアニメ化を前提としたもの。

*4:原作において、空中元素固定装置による変身能力を持つのは、アンドロイドである主人公だけだった。

*5:そもそも初代プリキュアは文芸面が全体的に弱く、敵の登場が毎回のドラマとうまく接合されていないことがしばしばあった。

*6:恋愛と関係ないどころか、敵との戦闘も物語の中心にはなかった。最近でもmattune氏が画面キャプチャを駆使して紹介している。http://d.hatena.ne.jp/mattune/20091208/1260281379