法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

今のオバマ大統領ほど、ノーベル平和賞にふさわしい人物はいない

『平和の歌』という反戦歌がある。見るたびに良い歌詞だと思う*1

太陽よ昇れ 朝の光を輝かせよ
だが、どんな清らかな祈りさえも 誰ひとり呼び戻すことはできない

命のろうそくが消え 土に葬られた者は
嘆き哀しんでも目覚めることはない 私たちのもとに戻ってはこない

誰も呼び戻すことはできない 深く暗い墓の穴から
ここでは虚しいだけだ 勝利の喜びも栄光の歌も

「平和の歌」を歌おう ささやくように祈るのではなく
「平和の歌」を歌おう 大きな声で

戦いの歌ではなく 愛の歌を歌おう
その日はいつか来ると言うな 今日をその日にしよう
夢ではない すべての街角で平和を叫ぼう

この歌は、イスラエル国民なら誰もが知っているという。それはなぜか。
この『平和の歌』はイスラエル国防軍によって作られ、国民と軍隊の距離が近しいゆえに広まっていったからだ。
『平和の歌』を歌っても、それだけでは何も変わらない。


オバマ大統領がノーベル平和賞を受けたと最初に報道で知った時は、確かに目を疑った。「いくつか宣言して着手しているが、まだ何も実行できていない」「さらに難しい立場へ追い込むだけ」という批判も、それ自体は強く同意できた。
しかし、ノーベル賞の歴史を思い返してみると、そう的外れな受賞ではないと感じるようになった。死の商人が作った賞にふさわしいブラックジョークという話ではなく。佐藤栄作ノーベル平和賞を受賞したよりは良いという話でもなく。


昨年度に南部博士がノーベル賞を受賞した時、学会内の認識としてはノーベル賞より南部博士の方が偉大という指摘があった。業績に対する評価としては、あまりにも遅すぎる、と。むしろノーベル賞が後づけで自らを箔づけしただけではないか、と。
なるほど、世界最高の業績に対して賞を贈ろうとすれば、対象が世界最高の業績であると理解できなければならない。アインシュタイン相対性理論によってではなく、光が粒子であり波であるという理論で受賞したのも、似た理由があったと思う。そして、ノーベル賞の対象とされていなくても、相対性理論の名前は物理に興味がない者でも知っているし、重要さが疑われることはない。あまりに偉大な業績は、新しく賞を贈られる必要などないものだ。


だから、ガンジーマザーテレサのような人物がノーベル平和賞を贈られても、活動の広報や認知を高めるような効果は期待できない。もちろん賞金等によって活動が助けられはするだろうが。
せめて賞を贈るなら、まだ業績を充分に上げていない、知られていない人物を対象とするべきだ。そうすれば効果も高くなる。
そもそも他のノーベル賞と違い、もともとノーベル平和賞は新人賞や奨励賞の性質が強い。韓国の金大中大統領や、パレスチナイスラエルアラファト議長とラビン首相の受賞も、受賞時点の業績で充分という意味ではない。受賞時の活動をさらに発展させるように、うながす意味があったはずだ。
ちなみに、かつてテロ攻撃を行っていたアラファト議長や軍人だったラビン首相はもちろん、非暴力抵抗運動を主導したガンジーとて平和的な人格だったとは言い難い面がある。長じてからの業績より、若いころの逸話が収録されやすい子供向け伝記では、ガンジーの青年時代を描写する際に苦慮していることが多い。平和主義者の人格が必ずしも穏健とは限らない。優しいとされる人物が虐殺に手を染める危険性が常にあるように。


平和主義自体は主義であり思想だが、平和主義を表明することは手段であり過程であり政治である。ノーベル平和賞もまた政治情勢に組み込まれることは原理的に不可避だ。世界情勢を動かすことを自覚してノーベル平和賞を贈ること自体は、必ずしも批判されるべきではない。世界情勢へ影響を及ぼさないような、すでに評価が確立された業績に対してのみ賞を贈るような態度は、むしろ現在進行中の問題から興味を失わせる危険性がある。
だから、オバマ大統領に対する「いくつか宣言して着手しているが、まだ何も実行できていない」「さらに難しい立場へ追い込むだけ」といった評価それ自体は正しい。誤っているのは、「なぜノーベル平和賞が贈られるのだろう」という疑問だ。
ノーベル平和賞は、オバマ大統領が様々な宣言を実行するよう働きかけ、追い込むために贈られたのだ。充分だからではなく、不充分ゆえに贈られた。
そもそも充分な平和というものは存在しない。平和とは目指し続けるべき目標であり、平和運動とは常に道程であり、言葉としての平和を語るにとどまっては内面における意味しかない。


冒頭で紹介した『平和の歌』も、言葉として提示されただけなら、おそらく私の記憶には残らなかったろう。
この『平和の歌』は、人前で歌うことを好まなかったというラビン首相が、1995年11月4日の平和集会で演説した後に歌った。その平和集会は、オスロ合意に対する反動がイスラエルパレスチナで噴出している最中、対抗言論として実行されたものだ。
もちろん歴史に記録されているように、その演説と歌の直後にラビン首相は暗殺された。だが歌の記憶は少なくとも私の中にある。私の内面における意味はある。それを不充分と感じたがゆえに今、吐き出してみた。

*1:NHKスペシャル 家族の肖像 遺志 ラビン暗殺からの出発』31頁から引用。『平和の歌』に関する記述は全て、この書籍を参考とした。