法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『シリーズ激動の昭和 あの戦争は何だったのか 日米開戦と東条英機』

12月24日にTBS系列で放送された、4時間を超える大型ドキュメンタリー。
生存者や子孫の証言を交えつつ、日米開戦へいたる経緯を政府と軍部の駆け引きに焦点を当てて描く。


まず最初に、番組の勇み足もしくは説明不足と感じた点を少し。
ルーズベルト大統領ら米国側が開戦を望んでいたかのような逸話を多く紹介しているが、それはあくまで一部の側面にすぎない。米国が日米開戦を主導したと解釈するのは単純すぎる陰謀論だ。
ハルノートルーズベルトがそえた「日本がこれを受け入れる可能性はほとんどないだろう」「すぐにでも起きるだろう災いに備えなければならない」というメモや、ハルノートを日本に提示する前日に「日本は無警告攻撃で悪名高い」「アメリカは来週月曜にも攻撃を受ける可能性がある」とルーズベルトが発言したというスチムソン陸軍長官の記録*1は、米国が覚悟し用意していたところへ日本が無謀に突き進んだと解釈するべき。
ていねいに番組全体を見ればわかるようには描かれているが、誤解されないよう明確に説明してほしかったところだ。


さて、ドキュメンタリーの中核は、ビートたけし演じる東條英機が色々な意味で話題だった、2時間半ほどの大型ドラマ『日米開戦と東条英機』だ。
正直にいって、資料映像の東條英機ビートたけしは似ても似つかない。しかしドラマは一本筋が通った歴史の流れを提示し、充分に見られる内容だった。
なお、脚本は池端俊策*2が担当し、「オリジナル・テキスト」として保阪正康『あの戦争は何だったのか』『陸軍省軍務局と日米開戦』がクレジットされている。保阪氏はドキュメンタリーパートふくめる全体の監修も務めた。


まず、東條英機の名前を前面に出しているものの、実質的に主人公といえるのは、部下の石井秋穂中佐*3。敗戦と屈服、究極の選択に葛藤し、それでもドラマにおける彼は歴史の流れに抗おうとする。東條は台詞少なく、登場時間も長くない。
そう、ドラマが描いたのは、悪人一人の意図で歴史が動かされる恐怖ではない。状況に関わった個々人の無能や怠惰や題目や欲望が、ひたすら事態を悪化させていく過程だ。
もちろん開戦派を悪、非戦派を善と単純に切り分けているわけでもない。さすがに山本五十六*4は一貫して冷静な開戦批判派と描かれ、好意的に評される。しかし会議に参加した海軍大臣らは、結果的にだとしても、非戦派として期待された状況を利用して軍需物資を多く獲得し、「火事場泥棒」とまで揶揄される。
最後まで非戦派だった外相や蔵相も折衷案に押されていき、形ばかりの抵抗をするだけに終わった。


そうして東條英機は最後まで小者と描かれた。
開戦派を抑えるため天皇が首相に選んだと示唆されれば、あっさり開戦派から非戦派へ鞍替えして内閣運営にあたる。しかし現実の会議では開戦派と非戦派の口論を傍観することしかできず、せいぜい折衷案を提示して対米交渉案を骨抜きにするばかり。最後は、内閣総辞職こそが和平交渉への道だと部下に示唆されても、天皇から手腕を買われて首相の座についたのだとうそぶき、地位にしがみつく。努力のみで這い上がってきた男と序盤で説明された履歴が、ここで生きてくる。
東條英機個人を批判する切り口ではないゆえに、ビートたけしの配役は大正解とまでいわないが、そう悪いものでもない。かすれた甲高い声で主張を押し通し、顔面をひきつらせながら*5周囲の進言をしりぞける姿は、東條の小者らしさがよく出ている。身の丈に合わない立ち位置で居丈高にふるまう様子が、現実で「殿」と呼ばれたビートたけしに重なってくるのは気のせいか。


もちろん番組はジャーナリズムに対しても批判の目を向ける。
雄弁な言葉で戦意を高揚し、日米開戦の詔勅を添削するなどして戦前に「活躍」したジャーナリスト徳富蘇峰*6を大きく取り上げている。のみならず、ドラマ自体も若きジャーナリスト吉原政一が戦後から日米開戦の経緯を調べる形式で描かれる。吉原は徳富から情報を得つつ衝突し、自身をふくめてジャーナリストのありようを批判する。
そうして批判する戦意高揚記事に、地味に東京日々新聞が引用されていた点は番組制作者の誠実さを感じた。東京日々新聞は毎日新聞の前身にあたる。


昭和天皇は、最後まで批判の対象にされることなく、政府や軍部に任せつつも開戦回避の努力をしていたとだけ描かれた。
ドラマが描いたような、東條英機の目標を左右させた存在としては正解と思う。保阪氏の主張にそったものでもあるだろう。しかし、本当に難しい問題からは上手く逃げた印象が残った。
なお、昭和天皇を演じたのは野村萬斎。やはり資料映像と似ていないが、全く異なる時間感覚で生きている人間は適役だったと思う。


ドラマは、開戦に関わった人々に対し東京裁判がくだした判決を紹介して終わる。
開戦派も非戦派も責任を問われて有罪となったが、あまりにも混迷した日米開戦に対する一つの決着と描かれる。勝者の裁きだと東京裁判を拒否する内容とは明らかに違う。判決に軽く何度もうなずく東條英機の資料映像が象徴的だ。


ドラマの後、巣鴨プリズンに収容された東條英機の不思議なほど穏やかな姿が紹介され、身の丈と合わない地位についた人物の半生をしめくくる。
また、戦後になって市民の前へ姿を現し、子供達の答えを聞いては甲高い声で「アッソウ」とあいづちをうつ昭和天皇のモノクロ資料映像には、少しばかりの皮肉を感じた。なぜなら、その場面にかぶせるように、翌年に東條が処刑されたことが語られるからだ。かつて頼った時に応えようと努力した東條を見捨てた天皇*7、また別の何かを頼ろうとしている姿……


さて、4時間を超える長い番組の結末で、今回発掘された徳富蘇峰の日記が引用される。東條英機処刑の日に書かれた、東條に対する人物評だ。
番組全体の方向性がはっきりする内容なので、最後に引用させてもらおう。

東條は学なく識なく
量なく胆なし


ただ君国に忠に
軍人たる義務に切に


自ら努めて一身をその所信に
投没せんことを期したることは


予またこれを認む


要するに首相の器にあらず

つまり東條英機とは、いわゆる「無能な働き者」だったのだろう。

*1:テロップでカギカッコにくくっていなかった「問題は日本をどう誘導していくかだ」「最初の一発を撃たせるように・・・」という部分は、スチムソン自身の見解だろう。スチムソン陸軍長官は後に「日本の先制攻撃がアメリカ世論をまとめるために望ましかった」と証言したことも、番組で紹介されていた。

*2:NHKで『太平記』『聖徳太子』等の脚本を担当。あまり映像化に恵まれない地味な題材を、史実を踏まえつつドラマに昇華できる手腕で知られる。

*3:1996年、95歳で死去。演じるのは阿部寛

*4:博打が好きだったことは確かで、強かったと証言する人もいるが、下手の横好きだったと評する人もいた。

*5:ちなみに西田敏行が演じた徳富蘇峰は、実際に顔面神経痛をわずらっていた。そのため最初に配役を知った時、ビートたけしが福富を演じれば良いのにと真面目に思った。

*6:日米開戦の世論を扇動し、日米開戦詔勅の添削まで行ったが、戦犯にはならず1957年死去。

*7:もちろん東條英機は見捨てられてしかたない面も多々あるのだが。