法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『NHKスペシャル』ドラマ 東京裁判 第4話

最終回。多数派工作に成功したパトリック判事が判決を主導するなかで、ウェッブ裁判長やレーリンク判事は最後の抵抗を試みる。
NHKスペシャル | ドラマ 東京裁判第4話
事後法にならないよう国内法の政治犯を適用しようとするレーリンク判事の主張は、無理な迂回をしているように思った。とはいえ後述の量刑判断で、政治家を比較的に軽く、軍人を比較的に重く主張している*1のは、私個人の感覚にもかなう。当時の政治家と軍人は天皇の下に位置づけられ、実態として軍人が優越していた。そこで天皇の存在を空白にすれば、その権力構造を正しく解釈することは難しいはずだ。
いったん病で倒れるパトリック判事は、やはり映画的なキャラクターとして出来すぎている。過半数を獲得したからといって裁判長を無視して判決文を書きはじめる展開も、史実ながら凄まじい。ウェッブやレーリンクが主人公だとすれば、これは敵役が圧倒的な数で勝利するドラマといえる。
一方のウェッブ裁判長も、非パトリック派をふくめた他判事を無視して判決文を独自に書きあげようとするが、パトリック判事に先行して完成されてしまう。それでも量刑だけは空白にされていたことから、レーリンク判事とともに少しでも判決へ影響を残そうと評決にのぞむ。
ちなみにパル判事は他の判事をかきみだす役割りを終えているため、始まって20分ほどしてようやく登場。しかも自室で自説をまとめるばかりで裁判に顔を出さなかったから、量刑を判断する個別具体的な議論にくわわる場面もない。パル判事が主人公のドラマなら違う物語構成もありえただろうが、群像劇として描かれた今回のドラマではひとつの見解を判事たちにもたらしただけで終わる。


そして評決に入り、個々の判事が、まず死刑を適用するか否かの意見を述べていく。
ウェッブ裁判長が主張した、天皇を訴追しないのに部下を死刑にするのは不公正という主張は、まことにもっともだと感じた。前回に東条英機の発言のゆらぎを描写したことが、この主張の裏打ちとなる。
死刑にしなければ日本が主権を回復するとともに釈放されるというパトリック判事の指摘は、死刑制度の賛否は別として、おおむね正鵠を射ている。むしろ死刑になった戦犯すら公的に顕彰されたり、裁判を受諾したこと自体を否認する動きが現在までつづている。
前回は現代的な価値観を見せたフィリピンのハラニーリャ判事だが、死刑を主張するにあたって犠牲者の膨大さを比喩で表現する。良くも悪くも全話をとおして自説を法的な言葉に落としこまない人物像だ。
ここでカナダのマクドゥガル判事がレーリンク判事に賛成する。多数派が先例として基盤においていたニュルンベルク裁判にたちかえり、「平和に対する罪」だけで死刑にされた被告がいなかったことを指摘する。多数派の先例主義的な根拠によって多数派の論拠が崩される。史実では積極的に出廷して、カナダも共同制作に参加していながら、なぜか存在感のなかったマクドゥガル判事だが、それゆえ印象がきわだって残った。
さらに各被告に対する量刑の議論も、これまで描かれてきた人物像に裏打ちされ、ドラマのキャラクターとしては誰もが説得的であった。各被告の結末は知識として持っていたが、それでも先行きが気になるほど、ていねいな法廷劇として成立していた。


ここで判事のドラマは終わり、各被告の量刑については、日本国民がラジオ放送を聞く描写で説明される。
その後の各判事も簡単に紹介されるが、オチをつとめたのはスターリン死後に失脚したザリヤノフ判事。最後まで個人的な思想を感じさせる場面はほとんどなかったが、通訳の「冗談をおっしゃました」という天丼ギャグともども、ドラマとしては本当に美味しい役どころだった。
東京裁判も歴史の一幕として終わり、オランダに国際司法裁判所が設立されるも、米ロ中は参加せず、今も世界で戦争がおこなわれていることが語られる。
ここはニュルンベルク裁判が東京裁判の先例になったように、東京裁判も旧ユーゴ国際戦犯法廷の先例になったという現代史との連続性にも言及してほしかった。ただの悲観主義におちいらないためにも。国際司法裁判所では死刑が排されていることも、できれば説明してほしかった。


最終回なので、全体の感想も書いておく。
ドラマで過去の観念をぬりかえるほど斬新な描写はないのに、長期間の取材による新発見の資料にもとづくことを強調しすぎた宣伝は過大で、期待との落差による低評価をまねきかねない問題は感じた。ドキュメンタリーパートにいたっては、ドラマ本編と見比べた時、着目点が古典的な東京裁判批判論によりそいすぎているようにも思った。さらに近現代の史実を娯楽として消費することにも議論はあろう。
しかし、それらを考慮してなお目配りがいきとどき、娯楽性も高いドラマだった。これまで東京裁判を主軸にした日本の劇映画が『プライド 運命の瞬間』や『南京の真実 第一部 七人の「死刑囚」』だったことを思うと、外国との共同制作とはいえ奇跡のような完成度に思える。
各判事ともキャラクターが立っているし、演じた俳優も存在感ある。特に、感情的で判事からも評判が悪かったウェッブ裁判長を、きちんと共感できるような人物として成立させたのは感心した。大川周明東条英機の頭を叩いたような珍奇なエピソードも見たかったし、弁護人の奮闘や葛藤というドラマでも興味深い作品にはなるだろうが、そうした余剰を排することでコンセプトが明確になり、短い話数でも長大な時間が流れたことを感じさせた。
映像作品としても、世界に通用するものだろう。明治村などを使いつつ、撮影や編集が外国スタッフというだけで、これほど高級感あふれる画面になるのかと思わずにいられない。

*1:ただし、史実においては軍人を無罪と判断したケースもある。ここではドラマにおいてピックアップされた描写を指す。