法華狼の日記

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『NHKスペシャル』ドラマ 東京裁判 第3話

今回はレーリンク判事以外の判事のやりとりが多く描かれた。
NHKスペシャル | ドラマ 東京裁判第3話
イギリスのパトリック判事の手回しで、レーリンク判事がオランダ駐日大使から圧力をかけられたり、ウェッブ裁判長がオーストラリア本国に戻されたり。視点人物と対立するキャラクターが優秀で精力的に動くほど、ドラマは面白くなるものだ。
もちろんレーリンク判事は圧力に折れないし、ウェッブ裁判長も意外と早く裁判に復帰する。ついでにレーリンク判事はドイツ人の女性音楽家からの願いをもはねのける。ドラマ終了後のドキュメンタリーによると、この女性音楽家は同じ反ナチスのドイツ人としてゾルゲと恋人だった時期もあるという。初めて知ったが、これはこれで興味深い人間関係だ。


他の判事のやりとりで最も印象深かったのは、フィリピンのハラニーリャ判事とフランスのベルナール判事の議論だった。
前回はパル判事の主張へ一定の理解を示したベルナール判事が、植民地政策には相手の文明を向上させようとするものもあったという見解を語る。対するハラニーリャ判事はどのような意図でも一方的に変化をもたらす植民地主義を否定する。
東京裁判のさなかにインドが独立したように、まだまだ直接的な植民地政策がおこなわれていた当時、理想主義の判事ですら植民地主義を内面化していたわけだが、このハラーニャ判事の描写を入れることで現代の価値観にそった主張をドラマ内におりこむことができた。
ラニーリャ判事とベルナール判事の議論は、パル判事の立場が植民地主義の相対化に利用されかねないと注意する描写でもある。ドラマ終了後のドキュメンタリーパートでも、自身の主張がそうした利用をされないよう願うパル判事の言葉が紹介されていた。
そのパル判事だが、史実通り裁判には顔を出さず、自室にこもって意見書の作成にかかりきり。会話したレーリンク判事は影響されつつも、やはり被告たちは有罪にすべきと主張し、たもとをわかつ。どのような法的根拠で判決を出すかが問題だというパル判事の言葉を受けて、レーリンク判事は多数派と同じ結論へ違う理路でたどりつくが、その内容は次回。


復帰したウェッブ裁判長のもと、次回予告に出ていたように、東条英機の発言が波乱を呼ぶ場面もある。
臣民は天皇の意にそうこと、天皇は全てを知っていたこと……そうした被告の発言をつなぎあわせると、最高責任者である天皇のため、その意にそって開戦したことになってしまう。
そこでウェッブ裁判長らは天皇が開戦前に拒否権を発動しなかったことに着目して、東条の次なる証言に注目するのだが、今度は天皇の平和主義を主張されて開戦責任を回避されてしまう……
ここで検察側と被告側で質問と回答がすりあわされたとウェッブ裁判長たちは判断する。つまり東京裁判はたしかに茶番劇の側面があったが、それは勝者による一方的な裁きというより、勝者の都合による免責であったというわけだ*1。第1話での天皇免責描写はあくまでエクスキューズと感じていたが*2、追いこめなかった史実とはいえ、ドラマで前面に出してくるとは思わなかった。
思えば、最高責任者は利用価値があるゆえに免責されて部下が責任をとること、支配に反抗するのではなくより強力な支配体制を求めること、どちらも現代社会でよくみる問題だ。それが戦後日本の出発点に組みこまれたことが、今にいたるまで影を落としているといえないか。


前後して、前回につづいて『ビルマの竪琴』の作者である竹山道雄とレーリンク判事の交流も描かれる。
教師として教え子を戦争にとられた人物だと前回のドキュメンタリーパートで解説され、送り出した加害者でもあるのではという違和感をもったが、今回は自身もふくめた日本人一般が戦争に加担した責任についての悩みをもらす。
この描写をしたいから、兵士が加害者となりゆく姿を描いた映画『野火 Fires on the Plain』*3で監督と主演をつとめた塚本晋也が配役されたのかな、などと思った。

*1:ちなみに2009年には弁護側も判決文の作成にかかわっていたという報道もあった。東京裁判で弁護人が判決に関与? - Apeman’s diary

*2:『NHKスペシャル』ドラマ 東京裁判 第1話 - 法華狼の日記

*3:感想はこちら。『野火 Fires on the Plain』 - 法華狼の日記