法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

アマチュアからプロフェッショナルへ〜同人活動の25年〜

y_arim氏の手描きMAD評に、追記部分*1をふくめて同意する。
http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20080928/1222597368
http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20081002/1222918775
補足すると、ニコニコ動画が登場する以前だが、ネットで活躍した後に本職のアニメーターになった、「coosun」*2りょーちも*3といったアニメーターがいる。
承認欲求が満たされて業界に入らなくなる者もいるだろうが、実力が認められたり自己の能力に確信できたりして業界に入りやすくなる者もいる。どちらが多いかはもちろん、どうあるべきかも一概にはいえない。


過去をふりかえると、同人誌即売会が勃興した時期にも同じように懸念する者がいて、同じようにアマチュア活動擁護する者がいた。
休刊して久しいアニメ雑誌アニメック』から探すと、1982年4月1日発行の第23号に、以下の座談会があった*4。雑誌に送られた同人誌を紹介した後、同人誌受容の傾向を語っている。同人誌を「ファンジン」と呼ぶ言葉づかいが懐かしい。

石清水 パロディーものがいくつか来てますね。
桂木 どれも同じような感じね。
石清水 要するに個性に欠ける。
遠藤 二番煎じばかりでね。
石清水 しかし、パロディーっていうのかね、こういうの。
桂木 風刺がない?
石清水 いや、必ずしもパロディーに風刺が必要だというわけではないけれども。
桂木 作品としての意義?
石清水 そう、それがない。今さらシャアとガルマのからみをやって、何が面白いのか。
遠藤 結局似顔マンガなんだよね。昔のマンガ・ファンジンじゃこういうのはキャラ盗みって言われてバカにされたんだけれど、今は逆にマネであることがわざとわかるように描いてる。
石清水 その辺は、アニメとマンガの差でしょう。アニメというのは共同作業で、極端に言えば、原動画というのは設定の似顔なわけですから。
遠藤 なるほど、その辺からキャラクターに対する考え方が変わってきたということか。
桂木 会誌と一緒にお送りいただいた手紙の中に、「これからマンガをかこうという人が、最初はアニパロをかくことによって絵を覚え、次第にオリジナルマンガをかくようになる段階の途中の手助け」っていう言葉があって、なるほどなって思っちゃった。
石清水 全くの創作で読んでもらうにはかなりの技量が必要だけれど、パロディーなら読者がとっつきやすいからね。その手紙は『HONYARARA』でしゅう? パロディーを3年半やった上での結論というわけだ。
遠藤 やっぱり似顔マンガだな、パロディーという美名にかくれた。

パロディをオリジナルへの踏み台と考える意見も、こう堂々と表明されると反発も覚える。オリジナルへの敬意は当然として、パロディーそれ自体の価値もあると思いたい。「似顔マンガ」という表現も興味深い。今では見なれた風景になったため気づかれないが、キャラクターを借りた同人誌もまた手描きトレスMADと同様、借り物にすぎないという評価があったようだ。対象の変化にともなってパロディー同人誌受容が変化していったという考察も、説得力は高くないが面白い。
1982年時点からすでに「今さらシャアとガルマのからみ」という発言が出ていることも時期を考えると意外だ。両キャラクターが登場したアニメ『機動戦士ガンダム』は、TV本放送こそ1979年だが、後に劇場版が三部作で制作され、1982年3月13日に完結作品が公開されている。つまり、この座談会が行われた時点では劇場版は完結していなかったわけ。ガルマは物語の比較的序盤で死亡するとはいえ、キャラクター消費の早さは25年前も相当なものだったようだ。
ちなみに他の場面では、安価に作れるようになって増加したオフセット印刷を嫌い、無駄に手間をかけるよりコピー印刷で作った同人誌が良いという発言もある。下手をするとコピーよりオフセットの方が手間がかからない現在から考えると、隔世の感がある。


結局、老人が若者をくさし、若者が老人の浅さに怒る姿は、今も昔も変わらないのかもしれない。

*1:山本弘エントリが、トレスにすぎない手描きMADを高評価してしまう浅さを見せ、本題がわかりにくくなっている件について。個人的な感覚だが、山本弘発言の問題は、言及したいことが多すぎて整理しきれていないと見受けられる点だろう。同じように脇道の多い文章を書く者としては、気持ちがわからないでもないのだが。ライターとしての仕事だけでなく、小説の面でも同様。よく読めば、余談にしか思えない細かい描写も、きちんと伏線や読者サービスにはなっている。しかし、しょせん伏線でしかない描写なのに、重要度に反して大きく取り扱われているよう見えることが多い。結果として話の本線が埋もれ、気づかれにくくなる。小説は全てが結末に収束するので、本線のわかりにくさもミスディレクションとして作用するのだが。……という、長い余談。

*2:沓名健一名義で『天元突破グレンラガン』原画他。かつて2ちゃんねるで作画関係のスレッドを立てていたこともある。

*3:鉄腕バーディーDECODE』キャラクターデザイン他。正確には商業アニメーター経験あり。ガイナックスの動画を辞めた後、ネットの活動で見出された。

*4:160頁。