法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『燃える方程式』〜トリアージについて不真面目な話〜

SF小説には、「方程式もの」というジャンルがある。トリアージ論争とも深くかかわる極限状況を前提として展開される物語形式だ。
以前のトリアージ論争にからめて、「方程式もの」をふくむ極限状況を舞台としたフィクションについて紹介したことがある。
『カンビュセスの籤』を読む - 法華狼の日記
補足をしておくと、「方程式もの」は極限状態にて解法を見つける作品群であるのだが、始まりの『冷たい方程式』は医療的な緊急状態を扱っており、トリアージの正しい使い方に近い。
医療行為に向かう宇宙船が舞台となっており、あくまで特異状況と注意しながら、あらかじめ優先順位が読者に提示されている。その意味では、現在の騒動を起こした始まりのブログ記事より、ずっとていねいにトリアージ的状況を題材とした作品であった。


そんな「方程式もの」に、以下のような解法がある。

 『燃える方程式』


 惑星に向かう宇宙船の操縦席で、パイロットは悩んでいた。
 無重量で浮かぶ幼い少女は、ひざを抱き、うつむくようにして言葉をもらす。
「だって、おにいちゃんがかわいそうだもの」
 ……かわいそうなのは、君だよ。
 死に瀕している兄に純粋な気持ちから会いたくて密航した妹という、「かわいそう」を絵に描いたような存在を前にして、悩まない人間は少ない。
「かわいそうなどという感情はナイーブですよ」
 背後の医者がつぶやく。パイロットはふりかえって問いただした。
「感情それそのものをナイーブだというのか、君が。人を救いたいという感情こそが医療の根元的な動機の一つではないのか」
 倉庫で発見した時、涙目で見上げてきたちっぽけな少女。ただ兄への思慕ゆえ密航しようとした妹を、宇宙へ放り出すことにためらわない者がいるだろうか。少女の判断は幼すぎたが、それゆえ愚か者と評することは難しい。
 ナーバスであることは認めるが、ナイーブと切り捨てたくはなかった。
「しかし患者を救わなければなりません。それが現実ですよ。今は極限状況なのです」
 医者はきっぱり言い切った。
 何も言い返せずに目をそらすと、通信機へ惑星から通信が届いていることに気づいた。緊急性の高いものではなかったが、重い空気を変えようと通信機を入れたら、少女へ語りかける声が流れた。うつむいていた少女が顔をあげる。少女の兄だ。
 通信機から聞こえる声が苦しげなのは、病魔にむしばまれた痛みによるものだけでなく、妹の運命を思っての悲しみにもよるのだろう。


 この宇宙船は、疫病が蔓延している惑星へ最新の特効薬「トリアジン」を届けるために飛んでいる。
 急ぎ準備されたため、燃料は必要最小限にしかつんでいないし、航行目的も公開していなかった。宇宙船の状態を公表していなかった以上、遠い惑星に住む兄に一目でも会いたくて、少女が密航を思いついても責めることはできなかった。……いや、医者は責め立てていた。情報公開した後は少女を叩く人々が出るだろうし、少女を放り出したパイロット達を叩く人々も出てくるだろう。
 しかし残り少ない燃料で大気圏突入時に減速するためには、さまざまな機材を捨ててなお、少女の重量が障害となる。減速が不完全であれば、大気圏で燃えつきるか、地面に激突するか、だ。少女を宇宙に放り捨てなければ、惑星の住民や少女自身をふくめて全滅する。惑星を目前とした今、引き返す燃料も酸素もない。
 パイロットは、事態が解決するまでの情報隠蔽を決定した政府機関に、恨み言をたっぷり聞かせてやりたい気分だった。


 少女と兄は通信を続けている。過去のこと、今のこと、好きな人、好きな食べ物、好きな服、好きな景色……
 どうやら両親もまた同じ疫病で倒れたらしい。兄妹二人きりで過酷な宇宙時代を生きてきた。辺境の惑星で兄が働いていたのも、妹の学費を捻出するためだったらしい。
 ……学費?
「いったい君は、どこの学校に通っているんだ」
 通信を続ける二人に、パイロットはわりこんだ。少女はどう見ても、全額公費から支出されるような年齢としか感じられない。
「とびきゅうして、いまはインに……」
 少女が舌ったらずな口調で答える。
「インとは……」
 首をかしげると、通信機の向こうから苦しげな声が答えた。
「……大学院、です」
「……どこだ、どこの大学院だ。学部は」
 パイロットは少女の小さな肩をつかみ、ゆすった。
 何か、喉元に引っかかっていた疑問に対する答が、そこにあると感じられた。
「やくがくせんこうで、トリアジンのかいはつを……」


 過酷な現実において最適解は感情的に納得できないものかもしれません、と医者はいった。そう、彼自身がいった。
 なぜ少女は宇宙船の倉庫に入りこめたのだろう。なぜ極秘で進められた計画を知り、宇宙船の行き先を正しく判断できたのだろう。トリアジンを収めた倉庫にどうやって入ったのだろう。よく考えれば、その情報に近しい立場にあったと推測できたはずだ。
 少女は開発関係者として、新しい薬が正しく使われるようにと考えて密航したのだ。しかし薬学についての知識はあっても、宇宙船の燃料について正しく判断する知識はなかったのだろう。少なくとも、少女一人の重量で大気圏突入が困難になる程度の燃料しかないなどという、非常識な状況は想定もしていなかったようだ。
 しかし現実に宇宙船の燃料は少なく、重量を減らさなければならない。
 パイロット自身が宇宙船から離れることはできない。トリアジンを放棄することもできない。しかしトリアジンの処方は、医者でも少女でも可能だ。いや、おそらく少女の方が得意だろう。
 さらに、体重の軽い少女より、重い医者を宇宙に放り出した方が燃料にも酸素にも余裕が出る。
 全く、合理性で考えて最適の解答というやつだ。
「ま、まさか私を放り捨てるというのですか。……女の子はかわいそうで、私はかわいそうじゃないとでもいうわけですか」
 エアロックを背にうろたえる医者に対し、パイロットは双眸を見開き、叫んだ。


「それはそれ!これはこれ!」


 あわれにも、少女を宇宙船の外へ放り出すように主張した当の医者が、宇宙へ放り出されてしまったとさ。


 『燃える方程式』完

具体的な作品が見つからないので自作したが、「方程式もの」では珍しくもない解法だ。ネット小説でも似た解法が内包された作品を見かける。きちんとした小説にしあげたいなら、ここからさらに話を転がしていくべきだろう。
他に『悪意の方程式』『ホロコーストの方程式』『殺戮の方程式』『方程式の方程式』『シュレディンガーの方程式』『占星術の方程式』『六とんの方程式』『魁!男塾の方程式』を思いついたが、まだアイデアしかなかったり、人間性が疑われそうだったり、パクリだったりするので、題名を紹介するだけにしておく。……題名を見ただけで、だいたい内容の見当はつくと思う。