法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『DEATH NOTE リライト2 Lを継ぐ者』

〜デスもギアスもR2は展開が拙速な感あり〜
原作マンガとアニメ、両方のネタバレあり。


ダークヒーローな主人公キラが勝利して終わった前回*1に対し、今回は世界を支配しつつあるキラに別のダークヒーロー*2ニアが戦いを挑んでくる。
父親不在の処理等に強引な面もあったが、おおむね一つの作品として過不足なく情報を提示できていた。


前回よりも短い総集編なため、キラとニアの対決で物語が構成され、変貌した世界がほとんど描かれていないのが残念。映画『マイノリティ・リポート』で人智を超えた裁きがくだされる世界が描かれていたように、一種のディストピア物を楽しませてほしかった。原作マンガや深夜アニメで描かれた「新世界」は現実的な展開ではなかったが、リアル風味の絵柄で誇張された言動を見せるキャラクターにマンガ的リアリティはあった。今回の総集編は、「L」によるメタな解説を冒頭に新規作画で入れるより、「新世界」の狂騒に重点を置いて描いて欲しかったかな。
はてな界隈を探してみると、こちらの二次創作がデスノートの存在により変容していく世界を描いていて面白かった。
小説『DEATH NOTE』 第一部 ジョーカー - ファッキンガム殺人事件 - ファック文芸部
ただ、エピローグに期待していたため、個人的に肩透かしを食らってしまった。間を置かず一気に読むべきだった。


さて、今回の総集編で興味深かったのが、マンガとアニメで描かれる「死後」の違い。
マンガでは、死後の世界は一切の闇であり、死者は存在しないし生き返らない。最終回直前の頁を黒く塗りつぶした表現は古典にすぎなかったが、最終回で主人公の姿をいっさい描かない演出*3には独特の寂寥感があった。キラを魅力ある主人公と思った読者に、「死」の意味を考えさせる。逆にキラの非道を嫌った読者には、「罰」の意味を考えさせる。虚構ならではな「死」の描写として、かなり上手い部類に入ると思う。
対してアニメでは、前回に死んだ「L」や「ワタリ」が登場する。「金曜ロードショー」という単語を口にするような遊びとはいえ、死んだはずの者が視聴者に語りかけてくる。ならば、キラの最期が荘厳に描かれていたこと、原作と違って死の瞬間は悲惨でなかった理由もわかる。アニメ制作者の感覚では、少なくともアニメ『DEATH NOTE』は死後の世界が存在するのだ。アニメ『DEATH NOTE』でキラの死が美しく描かれたこと、キラ死後の空虚な日々が描かれなかったことに違和感があったのだが、世界観が違っていたのならば納得はできる。


もう一つ、アニメでキラ死後の日々が描かれないのは、原作と違って魅上が操られた可能性を推理しにくいためだろう。キラに奇麗な死に様を用意する魅上を、ニアが演出することは性格から見てまずありえない。
死を美しく描こうとした結果として、魅上は操られていないことになり、つまり全面的に騙されたキャラクターとなってしまった。原作の展開ならば、魅上の失策一つを見逃しただけ、というフォローがキラにも可能だ。技術的に考えれば、魅上が偽ノートに気づくと考えて行動するのが自然だろうから。
この皮肉をアニメ制作者が意図したかどうか……

*1:感想はこちらhttp://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20070831/1188606901

*2:「ヒーロー」という表現は似合わない性格かもしれないが、仮に。

*3:回想シーンのコマすら、魅上の姿はあるがキラの顔は存在しない。