WaiWaiコラムは、外国人読者からも三面記事視されていただろうことは、当初から想像がついていた。
そして実際に、紙面で掲載されていた時期から但し書きがあったという。
http://www.mainichi.co.jp/20080720/0720_01.html*1
担当記者は、正確さが問われるニュース記事と「WaiWai」とは別の扱いと考えていた。このため、紙面でもサイト上でも「雑誌記事の翻訳で、表現やその内容には責任を負いません。記事の正確さについても保証しません」との趣旨の断り書きを英文で載せていた。
これで、WaiWaiコラムを外国人が信用する危険性を盾とした批判に、大きな疑問符がつく。正確さを保証しないという断り書きがされたコラムが信用されたならば、まず問題は読者にあるのではないだろうか*2。
これでは、戦前日本で従軍慰安婦が合法的だったと「事実」と称して主張した人々こそ、ずっと問題だったろう。外国新聞社*3サイトの1コラムにすぎないWaiWaiに対し、ワシントンポスト本紙の意見広告なのだから、その影響力は比べるべくもない。
しかし、「ネット上では毎日新聞の記事と区別しない人がいたので、毎日にとってよくないかもしれないと思っていた」と振り返る。
この把握は不正確だろう。問題視するまとめサイト等では、意図的に同一視していた感がある。新聞記事とコラムを意図的に混同し、毎日新聞自体をタブロイドと同程度に見なす発言もネットに散見された。
責任の所在が毎日新聞社にあることは変わらないが、記事の信用性を同程度に担保しなければならないという考えになると疑問だ。同じ系列だからといって『夕刊フジ』と『産経新聞』に同程度の信頼性があると考えるようなものだろう。もちろん、どのような媒体であっても強い信頼性を確保するべきという意見は、それはそれで正しいのだが。
一方、著作権について、担当記者は知識も理解も十分ではなかった。
「WaiWai」の執筆に加わった当初、ベテランの外国人ライターから「我々がやっている引用は許容範囲だ。単なる翻訳でなく、解説や説明も入れているから」と言われ、十分に検討しないまま大量の翻訳を繰り返していた。読者を引き付けようとして、元の雑誌記事にない個人的な解釈を盛り込むケースもあった。
どちらかといえば、これが問題だったと思う。引用と要約、解説はきちんと区別できるように表記するべきだった。
そういえば産経新聞において、共同通信から配信された記事で、統一協会に祝電を送った安倍官房長官(当時)という表記が削られたという話がある。買った通信社記事の要約は新聞社の自由だが、少しばかり間が悪い感はある。
http://asdf123.iza.ne.jp/blog/entry/650396/