法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

チベットについて、まとめる気もなく雑多に

報道を視聴していて気になった「暴動」という呼称について、Apeman氏とpr3氏がエントリを上げていた。
どうやら朝日新聞などは意識的に「騒乱」という呼称を用いていたらしい。
ニュースピーク - Apeman’s diary
「暴動」と「騒乱」。 - 黙然日記(廃墟)
コメント欄を見ると「動乱」「蜂起」「抗議行動」「一揆」等々の呼称が提言されている。個人的には、「抗議行動」より物理的に強い感覚のある「抗議活動」がしっくり来る。
一揆」も、自発的なものから偶発的なものまでふくまれ、宗教者が関与する場合もあり、「打ちこわし」など付随する状況も当てはまる。しかし近現代と感覚的に分断された言葉であるため、現実味なく受け止められそうなのが難点か。


さて、今回の動乱から、即座にチベット独立へ結びつけようとする考えが散見されるのは感心しない。
必ずしも全てのチベット人が一国家としての独立を求めているわけではない。どこまでも穏健的に主張するダライ・ラマ14世にいらだった過激派の暴走が原因の一つという報道もある。
ダライ・ラマの「中道主義」、チベット人強硬派は非難 写真5枚 国際ニュース:AFPBB News
すでに中国が占領して半世紀近くすぎ、土地に根づいて生活を行っている漢民族の人々がいる。半世紀もチベットで生き、あるいは産まれ、故郷にしている人々も、ある面では中国政府が行った政策の被害者といえる。パレスチナ問題の解決策としてイスラエルからユダヤ民族を追い出すことが現実的でないように、他国が介入してチベットから漢民族を追い出しても本当の解決になるとは思えない*1
この点で、ダライ・ラマ14世が要求する「高度な自治」という案は、折衷案というだけではない現実味、広い視野があるだろう。同様に北京五輪ボイコットの否定も、交渉の選択肢を残す意味で現実的と思う。無責任な分離独立論は、非暴力的に自治を求めるチベット人の足を引っ張り、中国政府を利しかねないと気をつけるべきだろう*2


以下、思ったことを未整理に列挙。


一般家屋に対する破壊行為ならともかく、掲げた中国旗をチベット旗に交換されたり、壁に赤い塗料をかけられたくらいでわざわざ暴徒化などと呼ぶべきだろうか。少なくとも、異様におとなしい日本のデモを基準にして評価するべきではないと思う。


たとえ中国主張の十数人死亡が正しいと仮定しても、大虐殺であることに変わりはない。いってみれば一家族以上の人間が殺されている。中国を批判する人でさえも、数字だけで語られる死者に麻痺しているのかもしれない。
被害者の固有性を細かく報道するべきとはいいきれない。過剰に物語化することも良くはない。それでも、情報を受け取る側が想像力を持たなければならないと思う。


チベット内部でも自治の形式に議論があるのに、無責任な外野が分離独立を単純に煽り立てるのは感心しない。しかし、チベット人が暴力的で過激な分離独立論を唱えている場合、批判するとしても心情は汲むべきなのだと思う。
もちろん、過激な分離独立論を批判するとしてもそれは手法の選択に対してであって、中国政府を擁護するものではない*3


少数民族に対する中国の人権侵害を非難する一方で、そのような問題は単一民族国家の日本に存在しないなどと口にする人がいて、見ていて恥ずかしかった*4

*1:イスラエルにおける強制移住問題を思い起こせば、むしろ中国共産党が後先考えず漢民族チベット外の地域へ強制移住させて問題を起こす方が、ありえそうに思える。

*2:あくまで結果的にだが、今回の騒乱は、過激派と中国政府がダライ・ラマ14世の影響力を削ぐような共犯関係を持っているようにすら見える。

*3:一口に同じ暴力といっても、国家と民衆のそれは非対称に扱うべきだ。さらにアムネスティによれば、今回の騒乱はまず中国政府が人権侵害を行い、それに抗議するデモに対し、暴力的な「鎮圧」が行われたことへの反発という。http://www.amnesty.or.jp/modules/news/article.php?storyid=453

*4:漢民族が9割以上いる中国もまた、ある意味で「単一民族国家」だろう。政府が少数民族の存在を無視し抑圧しているという悪い意味でだ。