法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『アサシン クリード』

 テンプル騎士団とアサシン教団は、数世紀にわたって秩序と自由をもとめて争っていた。現代のメキシコで育った幼少期に母を殺した父から逃がされ、やがて殺人犯となった男カラムは、米国で死刑執行されたはずが無機質な巨大建築物のなかでめざめる。それは現在のテンプル騎士団がカラムたちのもつアサシンの遺伝子にのこる記憶を利用して歴史を探求する施設だった……


 2017年の英仏米香港合作映画。フランスのゲーム会社による人気ゲームシリーズを原作として、原作のビジュアルや世界観をふまえつつオリジナルストーリーを展開する。

 フランスのゲーム会社がつくったシリーズで、どちらかというとイスラム教側のアサシン教団が主人公側で、キリスト教側のテンプル騎士団が敵という構図は、見識だとは思う。批判すべき歴史としてスペインの異端審問をおおがかりな情景で表現したところも良かった。
 しかしテンプル騎士団だけでなく自由意思を奉じるアサシン教団まで遺伝子による凶暴性と記憶にとらわれているというSF設定には思想的な矛盾を感じた。遺伝子が主人公のゆくすえを決める展開には特殊なSF設定もかかわっているが、どこかで人間は遺伝子を超えられるという描写もほしかった。Blu-ray特典の未公開映像での監督と編集の説明によると、遺伝か環境かという問いをララという少女に背負わせるつもりだったが、内容が複雑化するので最終的に出番をすべて削除したという。
 ともかく遺伝子に組みこまれた対立構図による時代を超えた戦いから、1999年に放映された伝奇SFロボットアニメ『ガサラキ』を連想した。

 困ったことに映像作品としての難点も似ている。歴史劇パートと近未来SFパートに超文明遺産争奪パートがからみあい、設定説明が交通渋滞を起こしている。たしかにこれにララというテンプル騎士団に育てられたアサシン少女をくわえると物語が完全に破綻してしまっただろう。エンディングが長くて実質的に本編が1時間半少しくらいしかないのだから、史劇パートはもっと仮想現実らしいシンプルな処理ですますか、逆に史劇パートだけでひとつの歴史アクションとして映像化して現代パートは原作ゲームにつづけるか、どちらかにしぼったほうが完成度が増しただろう。
 おそらくゲームでは没入感を高める現代パートと史劇パートの二重構造も、映画でやられると仮想現実ゲームSFのような印象で、あまり歴史的な厚みを感じづらい。フードをかぶった怪しげな格好のアサシンが人ごみにまぎれることができたりと、そもそも史劇パートのリアリティは高くないのだが。


 VFXは英国のダブルネガティブが主に担当。タイトルバックの山脈が平面的だったり、煙のエフェクトがいかにも素材を合成した感じで、あまり大作感はない。おそらく過去の時代にさかのぼってアクションをするための装置にVFXのリソースをそそぎこんでいるようで、実際には存在しないアームを見事に映像化はしていたが、史劇パートをゲームじみた印象にするだけで緊迫感をそこねる設定なので、そもそもの必要性を感じない。
 世界遺産を舞台にしたパルクールも、カット割りが細かいうえにVFXやカラーグレーディングでゲームじみた質感に変えているので、手間をかけているわりに魅力が弱い。メイキングを見ると着地用のセットが小さかったり、アクションをおこなえる範囲もせまいので、カットを割らずに移動撮影しつづけることが難しかったのだろう。かわりに草原を舞台にした馬車チェイスはなかなか広がりがあって、VFXも自然で良かった。