こんな青春を送りたかったという悔恨で、「鬱」*1になるという告白がネットでよく見られたことがある。しかし、そもそも『耳をすませば』が公開された時期を思うと、社会人になる前に見た人間の比率も少なくないように思うのだが。
「鬱」になったという感想のどれくらいが、本気だったのだろう。
そして青春を送ろうと思えば、まだ間に合うような人が「鬱」という感想を見ると、どのような感覚を持つのだろうか。
それはさておいて。
私事だが、青春っぽい時期に男だけで『耳をすませば』を見て、一人だけ泣いてしまったことがある。
それは後半で主人公が味わう創作の苦しみと、作品の不出来を自覚する様子に対してだった。別にファンタジー小説に限らず*2、何かを作ったり、それを人に評価してもらう時の不安と恐れ。そういう物語だと、素直に受け取ったわけ。
今でも、エントリを書いて自己嫌悪におちいることはしょっちゅうだったりする。