法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『電脳コイル』総評

NHKにようこそ〜
自分の世界に閉じこもっていた少女が恋を知り、痛みある外の世界へ出ようと決意する。基本線は、ありきたりと呼んでいいほど古典的な成長物語だ。
しかし虚構を全否定するのではなく、デンスケに代表されるように肉体で触れ合えない物や、言語化が難しい感情の動きにこそ意味がある、という結論にまでいたっている。いったん第24話で母親に柔らかく虚構を否定主張させてから、イリーガル化して姿を失ったデンスケ*1を肉体的に肌で感じ、さらに電脳体を見られない状態でデンスケの存在を確認……というように念入りな描写で、だ。


4423電脳空間は、ある種の箱庭療法を行うために作られたのだろう。ノブヒコ4423は箱庭の人形だ*2。イサコが持つ人格の一面という表現も可能。クライマックスにおけるミチコとノブヒコ4423の戦いは、イサコの葛藤を可視化したものといえる。
他人と繋がることへの恐れやとまどいを「痛み」と表現し、依存しないため別離を決意する結末がジュブナイルらしい骨格を持っており、主題を力強く伝える。物語の芯がしっかりしているおかげで、複数の解釈が成り立つことは楽しみでこそあれ、作品の評価を下げはしない。


やや駆け足だったものの、イリーガルの正体をSF考証として充分に説明しきったことにも感心した。
電脳空間のプログラム*3を断片的にヌルキャリアーが集めて勝手に動作している状態がイリーガル、ヌルキャリアー自体が勝手に動作している状態がイリーガルヌル。
イリーガルの外見はテクスチャが剥がれたものではなく、ヌルの外見をデフォルトとしたもの。第20話カンナや最終回オジジは外見を取り戻したのではなく、観察していた側の意識によりテクスチャが上書きされたと見るべきなのだろう。


また、アニメーションとして最後まで高い作画レベル、それも絵柄の美麗さではなくレイアウトや芝居の精度や密度を誇りつつ、デフォルメで動かす楽しさも忘れていない、良い作画アニメだった。名原画マンの集結はもちろん良かったが、シリーズ作品としては井上俊之の奮闘や台頭してきた若手作画監督が最も貢献していたように思う。
それでいて全面的に映像をたよることなく、物語の骨格がしっかりしていたのもアニメーター出身監督らしからぬ良さがあった*4。おそらく作画レベルが多少落ちても作品評価が低くならなかっただろう。逆に、物語や説明を優先したためか、良作画を純粋には楽しみにくい時もあった。
個々の回を単独で見るとバランスが良くなかったり、設定説明を長台詞ですませることが多かったり、キャラクターの台詞が古臭い言い回しだったりと、単純な脚本技術で見ると改善の余地はある。これは磯光雄監督の次回作に期待したい。

*1:昔の姿を持つのは主観的なクローズアップのみで、客観的なロングショットでは常にイリーガル状態、と明確に区別されている。

*2:終盤の台詞でミチコ“も”生まれたとあるように、本物のノブヒコ電脳体ではないだろう。

*3:接続している人間の意識や記憶もふくまれる。

*4:元アニメーター監督が自分の色を作品に込める場合、『星のカービィ』の吉川宗司監督や『ジパング』の古橋一浩監督といった脚本構成にこだわる例もあるが、映像が物語に優先することが多い印象がある。