法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『電脳コイル』第25話 金沢市はざま交差点

〜しかしラストカットが老婆の顔面ドアップって〜
もう次が最終回だというのに、集合無意識を電脳空間上に作ったとか、ユングだのラカンだのテスラだのに物語が収束するかと思って怖かった。おそらく磯光雄監督の脳内では「いそがしい人は読まない」*1ような設定が濃密にうずまいているのだろう。
その他は新しい設定や描写が積み重ねられつつも、過去の描写を受けたものが多く、飲み込むのは難しくなかった*2。たとえばイリーガルヌルを電脳空間に行くため利用した描写が以前にあったので、ヌルが元はキャリアだったという設定にも説得力がある。


以前に気になっていたヤサコが相手によって呼称を使い分けている点を、転校前の旧友に指摘させ、回収しようとしたのは良かった。ただ、脚本が時間に押され、少し舌足らずだったかもしれない。転校前のイジメ問題に言及したのが序盤であったことはともかく、すでにヤサコが主人公として成長しているため、今ごろ指摘だけされてもと思うところもある。さすがに旧友との関係再構築を最終回で描写する時間もないだろう。
そして明かされた4423の正体から考え、幼少時のヤサコがキスした相手が真の4423と思えば全てが丸く収まるようにも思った。まずありえないが、性的に未分化な時期の恋愛を取り扱った小説*3を読んだばかりなので、この想像が頭を離れなくて困る。


映像的に「飛行サッチー」と「2.0」の激しい戦闘*4、崩壊する世界と最終回直前らしくスペクタクル感は充分。原画に、りょーちも等。
そして、今まで画面の緻密さのわりに背景美術の質感が低いと思っていたが、電脳空間の背景美術はかなり重厚に感じるところがあった。作中現実のリアリティを低くして、対照的に仮想空間のリアリティを高め、電脳空間に閉じこもろうとするイサコの行動に説得力を増そうとしたのなら、演出として面白いが驚くほど長い前振りだ。*5

*1:磯監督が劇場版『新世紀エヴァンゲリオン』において、あくまで一原画マンとして参加しながら、原画の余白に不要な独自設定を長々と書き込んでいたエピソード。

*2:個人的な整理として。第16話の感想で書いた、ヤサコの夢が電脳空間における出来事だったという推測は正解。意識を失った人とコミュニケーションするために電脳メガネが医療に使われたという推測も当っていた。伏線がそれとして機能しているという話であるし、それでいてきちんと意外な展開になっているのも良い。

*3:http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20071124/1196001882

*4:山なりに飛ぶ曳航弾、暗い無人街で光る爆発の美しさ、地面に激突する重量感、昇る煙で見せる空間の位置関係。それらをCGと手書きを併用して表現する手腕。旧式で辛勝したことをドラマとからめて説得力を出していたのも良かった。

*5:作中現実のリアリティを意図的に低くする手法自体は、仮想現実をテーマにした映像作品でよく見られる。『アヴァロン』『ニルヴァーナ』などが代表だろうか。