法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『週刊文春』と『週刊新潮』を読む

新刊の気になったところだけを流し見ただけだが、ひっくり返りそうになった。


週刊文春』の青沼ジャーナリストは今枝仁弁護士の解任を取り上げている。
しかし安田弁護士がどんな手を使っても裁判を引き延ばしている*1といった認識をまだ持っている時点で話にならない。記事中で弁護側の活動がほぼ終わったことに言及しているのだから、少し重大事件について知っていれば異例なほど早い裁判であることもわかるはず。それでいて22人の弁護士が必要か疑問視しているのだから困ったもの。
一般向けにも相当に弁護側の説明が伝わっている上、今枝弁護士のブログを見て記事にしていながら、一昔前の素人が持っていたのと同程度の疑問ばかり並べる青山氏が不思議でならなかった。


週刊新潮』は沖縄県民決起集会の人数話題について。
産経新聞朝日新聞のやりとりを精一杯に産経擁護になるよう解説。もちろん世界日報と酷似した記事であることなど言及されていない。
見出しの人数については、警備会社テイケイが会場全体すら収まっていない写真で人数を数えた件から*2。実際はテイケイですら、写真外や木陰に隠れた者などを推定で加え、「時間帯の総数」で19000〜20000人くらいとしているのだが。
そして最後に『沖縄タイムス』が強気に人数を倍に誇張したと主張している。確かに『沖縄タイムス』社説では「22万の瞳」という文学的形容が用いられていた。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200709301300_04.html

22万の瞳にこたえよ/視点
 強い日差しの中、時折心地よい風が吹いた。会場に入りきれない人々は、公園や隣の建物、小道、雑木林の中に座り、遠くで聞こえるマイクの声にじっと聞き入った。ステージが遠くても、見えなくても、そこに集まった二十二万の瞳は、検定撤回を求めるスピーチが続く舞台を静かに見詰め続けていた。

 けれども、あなたはそこにはいなかった。

 内間敏子さん=当時(19)。りんとしたまなざし、ピンクのブラウスがよく似合ったあなたは、座間味国民学校の教師。音楽が好きで、あなたがオルガンで奏でた重厚なハーモニーに感動し、戦後音楽の道へ進んだ教え子もいた。そのことをあなたは知らない。一九四五年三月二十六日、座間味村の「集団自決(強制集団死)」で亡くなった。

 自ら手にかけなければならない子どもたちをぎゅっと抱きしめ、「こんなに大きくなったのに。生まれてこなければよかったね。ごめんね」と号泣した宮里盛秀さん=当時(33)。戦時下、座間味村助役兼兵事主任だったあなたは、「集団自決」の軍命を伝えることで、軍と住民の板挟みになり苦しんだ。「父が生きていれば、自分が見識がもっと広く、大局的な見方ができたらと悔やんでいたと思う」。一人残された娘の山城美枝子さん(66)は、あなたに代わって会場に立った。

 なぜ、あなたたちは死に追い詰められたのか。残された人々が、私たちに語ってくれたことで、真実が伝えられた。

 魂の底から震えるように、軍の命令で家族が手をかけ合った「集団自決」を話した。戦後、片時も忘れることができない体験。請われて語ることで自らも傷ついた。それでも、「集団自決」が、沖縄戦のようなことが再び起こらないように、奮い立ってくれた。

 しかし、軍強制を削除した教科書検定は、「集団自決」の真実と、残された人々の心痛をも全て消し去った。

 検定に連なる背景には、日本軍の加害を「自虐的」とし、名誉回復を目指す歴史修正主義の動きがある。「集団自決」は標的にされたのだ。

 軍の名誉を守るために「集団自決」の真実を否定し、苦しさを乗り越え語る人々の心を踏みにじる。沖縄と、そこに生きる人々を踏みつけなければ、回復できない名誉とは、なんと狭量で、薄っぺらであることか。

 時代が違えば、「集団自決」に追い込まれたのは、今、沖縄に生きる私たちだった。

 沖縄戦を胸に刻んできた体験者、沖縄戦を考えることが心に芽吹いた若者たち。「集団自決」で死んで行ったあなたを、残された人々を、決して一人では立たせないとの思いで結集した。

 十一万六千人もの人々が共に立ち、誓った。私たちの生きてきた歴史を奪うことは許さない。「集団自決」の事実を、沖縄戦の歴史を歪めることは許さない。舞台を静かに見据えた瞳はそう語っていた。

 政府は、この二十二万の瞳にこたえよ。(編集委員・謝花直美)

実際に読めばわかるが、「十一万六千人もの人々が共に立ち、誓った」という文章から社説が主催者発表にそっているだけなことは明白。さらに全体を見ると、11万人からさらにこぼれ落ち、沈黙をしいられてきた死者に目を向けるよう提起する論調になっている。
これについて人数を倍に誇張していると『週刊新潮』が批難するとはさすがに予想外だった。……『週刊新潮』の編集は『二十四の瞳』すら知らないのか。新潮社から出版されているのだが*3