法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『ローゼンメイデン』に興味がないのは自由だが、それなら『ローゼンメイデン』の話を最初からするべきではない

敵味方でしか判断できないの? - 法華狼の日記のコメント欄に返答しながら、思ったこと。
私が最初に言及したエントリでも示唆していたことなのだが*1、5年前の論争ということもあり、撤回させる余地は残しておきたかった。相手が比喩表現を持ち出した意図も、念のために確かめたかった。
しかし、応答した相手が自ら撤回の余地を断ち切ったので、今回はっきりと指摘しておく。


まず、沖縄集団自決についての検定意見をめぐる報道で、下記のような主張がなされた。
on reversibility - おおやにき

結果が気に入らないからといって「中立」となっている機関の決定に文句を付けはじめるとどういう結果になるか、という問題に関する卓抜な一例について。

2007年10月1日、日本政府の町村官房長官が記者会見場に現れた。太平洋戦争末期の沖縄戦で日本軍が住民に集団自決を強要したという内容が高校教科書検定過程で削除されたことについて、沖縄県民11万人が先月29日に抗議大会を開き、怒りを爆発させた直後だった。彼は「関係者の工夫と努力と知恵があり得るかもしれない」とし「(修正)検討を文部科学省文科省)に指示した」と述べた。すると、文部科学相も「沖縄県民の気持ちを受け止め、何ができるか選択肢を検討したい」と述べた。日本政府は各教科書出版社に訂正申請をさせ、これを受け入れるという便法で「日本軍が集団自殺強要」表記を復活させる方針だ。
日本政府が2005年の教科書波紋当時に‘盾’とした検定制度はその間、一行も変わっていない。 にもかかわらず日本政府が今回の沖縄の件では自ら‘不可能’と主張してきた政治介入に動くという自己矛盾に陥った。
(中央日報(韓国)「<取材日記>教科書問題 日本の二重基準 | Joongang Ilbo | 中央日報」)

ところで今回の教科書検定の結果に不満だから参議院で撤回の決議案を可決しようと計画している政党の諸氏は、現在の衆議院で「撤回必要なし」とか、あるいは(「直近の民意」、とやらを重視するのなら)来るべき総選挙後(*1)に仮に自民党が多数を獲得できたとして、そこで「大東亜戦争は聖戦だったと教科書に書こう決議案」とか「社会党ソ連から政治資金を受け取っていましたと教科書に書こう決議案」とかが可決された場合にはその結果を受け入れるのだろうか(*2)。
「こちらは真実であちらは虚偽だ」と言う人がいるのだろうが真実など誰にでも見えるように道ばたに転がっていたりはしないのであって、主張する当人にとってはどれも「真実」である。だからそのうちどれをまあより真実らしいと認定したり、教科書に書けるレベルだねえと判定したりするために第三者的な立場として審議会などが設けられているので、それによって直接的な政治闘争を差し控えようというのは本来少数者・弱者のためでもあったわけである。だって闘えば数が多い方が勝つわけですよ。

もちろん、沖縄集団自決が日本軍によって強いられたことは、「直近の民意」などではなく*2歴史学上の通説で認められていたことだ。
そもそも軍関与を否定する検定意見の根拠として、軍関与を主張する学者の文章を断片的に用いられていたくらい、根本的な問題があった*3。また、集団自決に手榴弾が用いられたことは、「物理現象」という観点からも日本軍が責任が逃れ得ないことをも示している*4
逆にいえば、歴史学上においてどちらが正しいのかという観点へいっさい言及していないことから、あまり詳細を知らずに言及したのだとも思える。この時点では、よく知らないことを「卓抜な一例」として持ち出したことだけが間違いとして、撤回する道が残されていたかもしれない。


しかし上記の主張が批判された時、「理論的主張」については批判されなかったからと、部分的な撤回すら拒絶する態度に出た。
on performativity - おおやにき*5

私の議論について氏は「具体的な事情を一切捨象した水準で考えれば「御説ごもっとも」である」とか「具体的事実を捨象した「正論」」とかお書きであり、つまり結果が気に入らないからといって「中立」となっている機関の決定に文句を付けてはいかんという理論的主張の内容については正しいとお認めいただいているようなので私としてはじゃあそれでいいじゃねえかという話である。

つうか私沖縄にも沖縄人にもコミットメントないしさ、自分の議論と「ぼ、ぼ、ぼくがローゼンメイデンがこんなに好きなのになぜ君は見ようともしないんだあああああ」とかいう主張との違いがあるかどうかについてもう少し自覚的な方がいいんじゃね?

誰にたのまれてもいないのに沖縄集団自決記事を持ち出しながら、上記のような応答をすることは、私には考えられない。
ローゼンメイデン』の比喩にのって指摘するならば、見ていない作品を根拠として持ち出すこと自体、もともと誉められたことではない。見ていなくても根拠として持ち出さざるをえない場合でも、実際との齟齬を指摘されれば、根拠として持ち出したことを撤回するのが筋だろう。
個人的には、理論的主張までは撤回しないことを許容してもいいと思わなくもないが、それでも当初に持ち出した根拠は撤回するべきだと考える。より厳しい論者であれば、新たな根拠を提示できるようになるまで理論的主張も一時的に撤回するべきと考えるかもしれない。
いずれにしても、自分が持ち出した根拠が批判された時、あたかも批判されている根拠に自分は興味がないかのように主張し、批判すること自体を嘲笑する態度は、厚顔無恥といわざるをえない。

*1:http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20120704/1341414263

*2:ちなみに、中央日報記事にも「直近の民意」という言葉は見当たらない。

*3:http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20070621/1182486109

*4:http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20110112/1294850900

*5:下線部を引用時にイタリック体へと変更した。