法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

どこから来たのか手榴弾

国立歴史民俗博物館沖縄戦集団自決の記述を見直したことを、産経新聞が批判的に報じていた*1
http://sankei.jp.msn.com/life/education/110105/edc1101052337002-n1.htm

 沖縄戦の集団自決に関する展示内容の見直しを進めていた国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)は5日、集団自決について「軍人の指示」があったとする見解をまとめ、公表した。展示は同日付で始まった。集団自決の背景に「軍の関与があった」という表現がないとして沖縄の市民団体などから抗議が相次いでいた。「関与」よりも一歩進んだ「指示」という表現で決着したことに識者からは批判が出そうだ。

 問題の展示は第6展示室の「大量殺戮(さつりく)の時代〜沖縄戦と原爆投下」のコーナー。「犠牲者のなかには、戦闘ばかりでなく『集団自決』による死者が含まれていた」とし、集団自決の背景として「米軍に対する住民の恐怖心のほか、日本軍により軍民一体化が推し進められるなかで、米軍に投降すべきでないとの観念が一般にも浸透したこと、そして手りゅう弾の配布に示される軍人の指示など、住民の意思決定を左右する沖縄戦特有のさまざまな要因があった」などと記述した。同館ではこれまでは「激しい戦闘で多くの人びとが生命を落としたほか、犠牲者の中には戦闘ばかりでなく『集団自決』に追い込まれた人びともいた」と解説。これに沖縄の市民団体などが「集団自決が軍命令だったことは歴史的事実」と反発、「軍の関与」という表現を展示に盛り込むよう求めていた。

 同館は「軍人の指示」という表現について「不測の事態の際、自決を促す意図で配布されたという証言が膨大にあり、研究者間でもそう理解されている」と説明。「軍」「関与」ではなく「軍人」「指示」という表現を用いた点にも「明確に軍が自決を命令した資料は見つかっておらず、『関与』という言葉は不正確で誤解を招きやすい」などと述べた。

 新しい歴史教科書をつくる会藤岡信勝会長は「軍が自決を命じたととられ、これでは偏向展示だ。私たちの調査では手(しゅ)榴(りゅう)弾(だん)配布は、むしろ住民側の要求と分かってきており自決を踏みとどまらせた例もある。史実として未確定の部分も多く公正な歴史記述とは言い難い」と批判している。(田中佐和)

強い権力関係が存在した沖縄戦において、「命令」でなく「指示」といった表現を選んだ時点で、かなり日本軍に甘い記述だと思うが、それでも田中記者には不満らしい。
だいたい「批判が出そうだ」という「識者」が誰かと思ったら、藤岡信勝会長かよ! 産経新聞は末尾の識者コメントでいつもオチつけんなよ!!


さらに産経新聞は「主張」でも集団自決記述の見直しに言及しているが、重ねてひどい内容だ。
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/110107/trd1101070246001-n1.htm

 国立歴史民俗博物館歴博、千葉県佐倉市)が常設展示中の沖縄戦の説明文を変更した。「軍人の指示」による手榴弾(しゅりゅうだん)配布を集団自決の背景にあげた部分である。集団自決の背景を誤解させかねない改悪である。

 特に問題なのは、沖縄の市民団体などから「軍関与の記述がない」などの抗議を受けて、史実を歪(ゆが)めたことだ。こうした記述を政治的主張に基づいて変更したことは、過去にも繰り返されている。さらなる禍根を残してはならない。

 これまでの実証的な研究や関係者の証言で、軍の直接指示や命令があったとする説は否定されている。住民が戦闘に巻き込まれた戦時下の心理状態を含め、「複合的な要因で起きた」とする見方が有力だ。最新の研究を踏まえて再考してもらいたい。

 歴博は、古代からの人々の生活や文化などに焦点をあてた研究や展示をしている。昨年春から「現代」の常設展示を新たに設け、沖縄戦も取り上げた。

 変更前の集団自決の説明は「犠牲者の中には戦闘ばかりでなく、『集団自決』に追い込まれた人びともいた」と客観的記述になっていた。検討段階では軍関与を入れる案もあったが、背景のさまざまな要因を踏まえて慎重な記述が必要とする研究者らの意見を入れたという。他の教育機関への影響も大きい歴博として当然だった。

 変更後の記述は「沖縄戦特有のさまざまな要因があった」とまとめてはいるが、「手りゅう弾の配布に示される軍人の指示」と、軍の関与をことさら強調する文言が加えられた。これでは、軍が指示や命令を出したかのようにとられかねない。手榴弾の配布に関しては、「住民側からの要求だった」という証言もある。不確かなことを根拠とするのは問題だ。

 集団自決の記述をめぐっては、平成19年公表の高校教科書検定で日本軍の命令によって強制的に行われたとする誤った記述に検定意見がつけられ、修正された。

 このときも沖縄など一部から反発が起きた。教科書検定審議会は「直接的な軍命令の根拠はない」との見解は変えなかったものの、訂正申請で「強制的な状況」などの記述を認めてしまった。

 歴史、特に評価の定まっていない近現代史は多面的な見方が求められる。一部の声高な政治的主張に引きずられてはなるまい。

わざわざ歴史の専門家ではない教育学者のコメントを引いた産経記事こそ、「一部の声高な政治的主張」ではないだろうか。
前後するが「不確かなことを根拠とするのは問題」としながら、「日本軍の命令によって強制的に行われた」という教科書を「誤った記述」と断言したり、「多面的な見方」を求めながら細部で自身の見解が絶対的であるかのような記述にもあきれる。
集団自決があった当の地域や、検定の根拠となった書籍の著者である林博史教授ら歴史学者の批判を、「沖縄など一部から反発」と簡単に片付けるにいたっては、なるほど産経新聞は集団自決を強要した古き日本の尻尾だと実感した。
ついでに、「実証的」という形容をつける必要性はないと思う。実証的でなければ、博物館で記述されるべき研究では最初からないはずだ。歴史認識にかかわる研究で、通説を否定する側が白々しく「実証的」「最新の研究」と称する姿は何度も見た光景ではあるが。


最後に、「不確かなことを根拠とするのは問題」という主張が、手榴弾の配布で住民側が要求したという証言を紹介した直後というところに注目したい。先の記事で藤岡信勝会長が「私たちの調査では」と語っている以上、単純にとらえることはためらわれるが、ここでは実際にその証言は正しかったと仮定する。
まず、もし全ての集団自決が軍人側だけの強要で行われていたという主張があるならば反証ともなりうる。しかし住民側が手榴弾を求めた例があるだけでは、集団自決が全体として軍関与のもとで行われたという記述を否定することは不可能だ。集団自決を止めた軍人がいたことは、起きた集団自決に軍人がかかわっていないことを証明しない。
そして、たとえ住民側の求めだとしても日本軍側が手榴弾を渡したことは認めている時点で、日本軍の弁護にはならない。民間人から求められるまま武器を渡す時点で、軍隊として根本的な管理能力を欠如していると産経記者は考えられないのだろうか。
自決しようとする民間人を止めるどころか、押し切られるまま武器を渡した時点で日本軍に責任はある。もしも民間人が渡された武器で米軍へ戦いをいどむという考えであったとすれば、南京大虐殺を合法化しようとする詭弁で多用される「便衣兵」となる*2。いずれにせよ手榴弾が用いられた時点で、集団自決に対する日本軍の責任はまぬがれえない。
沖縄戦集団自決における日本軍の責任を考えるならば、どこからともなく手榴弾が降ってきたとでも主張しなければ、たいした弁護にはならないのだ。

*1:別新聞の記事紹介はこちら。http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20100909/1284046171

*2:単純に全ての「便衣兵」とされるものが非合法であったり倫理に反しているというわけではないが、産経記事が根拠にしている新しい歴史教科書をつくる会二重基準のそしりをまぬがれえまい。この場合は民間人が戦闘に直接参加することを認めた軍隊という論点も重要だろうか。もちろん現実には、体力的に戦闘が不可能な人々が集団自決に追い込まれている。