3500年前、古代エジプトで数少ない女性ファラオ、ハトシェプストの生涯と影響を描いた全9巻の歴史漫画。2014年から2021年までハルタで連載された。
ハトシェプストは特異な存在として山岸涼子らなどに漫画化されてきた。それらの作品はほとんど知らなかったので、良くも悪くも知識と先入観は少なめで読めた。
史実でファラオとなる経緯などはつたわっているが、その内心や陰謀まで判明しているわけではないようなので、それらはフィクションで埋めているのだろう。
子供時代から男装ですごして男にしかなれないファラオになることを目標に、試合で兄にも勝利してきたハトシェプストだが、成長するにつれて体力は逆転し、当時の社会的な性差をこえることもできない。ファラオの妻としてさまざまな政策をおしすすめようとするが、さまざまな勢力の抵抗にあう。
兄であり夫でもあるファラオを暗殺することで権力を奪取し、さまざまな開明的な政策をすすめて戦争以外の手段で国力を発展させるが、少しずつ心身がおとろえて迷うようになる。
基本的に男装はファラオとなるためであり、あくまで性自認は女性で恋愛対象も男性だが、周囲から女性を愛していると思われたり、したう女性が登場したりする。
この作品で描かれたハトシェプストは優秀で先進的ではあるが意外と人格は平凡で、最初は信念とともに決断するが周囲に影響されて状況と時代に流されていく。暗殺で権力を奪取したというフィクションを採用して時代を力強く壊して進む女性譚として楽しめたのは序盤までで、むしろ作品全体としては悔恨や葛藤をかかえた女王とさまざまな思惑で動く周囲の群像劇という印象が強かった。
性的魅力を利用する女性が敵として暗躍したり、しかし男性に媚びることによる権勢には限界があると示したり、いくつかジェンダー面でも興味深いエピソードはある。しかしそれもふくめて後半からはハトシェプストが自身が女性であることの限界を感じるようになり、良くも悪くも受けいれていってしまうため、あまり社会的な性差をうちこわす爽快感などはない。
結局は体制の枠組みを維持しただけで新しいものは残せなかったという結末の虚しさは歴史漫画らしさがあったが、この種類の漫画としては長期の連載になったため方向が途中で変わったのかな、とも思った。もちろんハトシェプストの事績がほとんど破壊されている事実の反映ではあるが。
単行本の巻末には漫画制作にまつわるエッセイ的な漫画も収録され、史実との違いなどが説明されて、けっこう興味深い内容ではあった。
たとえば漫画本編のハトシェプストは中年の時点で杖をつきつつ痩せおとろえたように描かれているが、発見されたミイラによると晩年は肥満で糖尿気味だったという。
とはいえ古代エジプトにおいてファラオの肥満は珍しいものではなく必ずしも醜い姿ではなかったらしいので、当時の人間がハトシェプストにいだいた印象を現代の読者に一致させる漫画表現としては痩せた姿でも悪くない気はした。時代劇で女性の鉄漿を描写しないようなものか。