法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

私はドラえもんが好きだからこそ

光市母子殺害事件弁護団の弁護活動に、最初から違和感を持たなかったのかもしれない。
ドラえもん』では、善意が周囲から誤解されて自暴自棄になった主人公が悪事を働こうとする話があれば、報復感情や事故で全世界の人間を消してしまう話もある。
さらに複数の大長編ドラえもんでは、主人公達は裁きの場に引きずり出され、人類代表として感情的な批難を受ける。


以下は、大長編ドラえもんのび太と海底鬼岩城』中盤までのネタバレをふくむ話だ。
のび太と海底鬼岩城』……海底環境の興味深さや怪談的なサスペンスで楽しませつつ、主題は当時の冷戦構造や核戦争を強く意識し、人類と人工知能との関係性まで視野に入った佳作だ。
その中盤において、ドラえもん達は海底人エルに命を救われる。しかしエルはドラえもん達を気絶させ、海底の市民権を与えつつも地上に帰ることを禁じた。
もっとも、海底人から見れば、地上人は戦争が好きな危険な存在なのだ。「何千年もの間 戦争のくり返し じゃないか。 警戒するの 当たり前だろ。」とエルが説明する。もちろん海底人も戦争を行った歴史はあるが、相手国の自滅により7000年も前に終結している。そうして海底人は地上人を危険視しながらも、ジャイアンスネ夫の命を救い、さらにどらえもん達の命をも救ったのだ。
海底人は、「もし 国境を こえたら 死刑だぞ!!」と宣告しながらも、ドラえもん達3人を相応の客としてあつかう。ちなみに、拘束に反発して暴言や威圧を続けるジャイアンスネ夫は地下牢に入れたまま。そして「当分の間、 出歩くことは つつしんで もらいたい。」と願いつつ「ほかのことは なんでも不自由 させないから」ともいって家まで与えた。
もちろんドラえもん達は納得せずに脱出しようとするが、追跡してくるエルが敵に攻撃されたため、逆に命を助けた。そうして姿をさらしたドラえもん達は、後から来た大部隊に拘束される。


そうして、ドラえもん達は裁判……ドラえもんの台詞では会議……にかけられた。
ドラえもん達によるエルへの援護は、「勇敢と いうより うっかり者と いうべきでは ないか。」「あるいは いいかっこ して みたかった とか。」「さばきは 公平であるべきだ。 五人の少年たちの 英雄的な行動は みとめよう。 ただし……、 かれらが 約束をやぶり、 脱走し 国境をこえた 事実も 見落としてはなるまい。」と扱われる。つまりは正義や人権といった題目による行動は、感情的な反発にさらされ、裁判には影響を与えない。どこかで見た光景ではないか。
そしてドラえもん達は国境やぶりの罪で死刑を求刑される。刑法に定められていることであり、しかも海底を勝手に移動することが周囲に多大な迷惑や危険をもたらすことは作中で明示されている。弁護するエルの「そんなの 一万年も むかしに 定められた、 カビの生えた 法律だ!!」という弁明はいかにも弱い。
追い打ちをかけるのが、「陸上人は 魚を取りつくし、 絶滅させようと している。」「工場の排水や 放射性廃棄物など、 きたないものを 流しこんで 海をよごし 放題だ。」「あつかましく 深海へまで 乗りこんで 資源を うばって いく」といった“市民感情”的な反発だ。
裁判は中断することになるが、少なくともエルの裁判を通した弁護活動は成功しなかった。


光市母子殺害事件で感情が通って当然と思う人たちは、ドラえもん達が死刑になればハッピーエンドと思うのだろうか。『海底鬼岩城』における裁定は光市母子殺害事件に見られる感情的な発言よりは、かなり公平にすら思えるものだ。
藤子・F・不二雄作品、特にSF短編では奇妙な動機を扱ったものや、報復の恐ろしさを描いたものが少なくない。そういった作品群を読み、愚かな者に対する藤子先生の目線を感じさせる発言も知っている私には、「ドラえもん」報道を根拠に被告に反発する人々の存在が、逆に信じられない。