法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『BS1スペシャル』隠された“戦争協力” 朝鮮戦争と日本人

BS1で前後編として放映されたドキュメンタリーを地上波深夜放送で視聴。
「隠された“戦争協力” 朝鮮戦争と日本人」 - BS1スペシャル - NHK

1950年に勃発した朝鮮戦争。今回、米軍の支援に当たっていた日本人70人の尋問記録をアメリカで発見。朝鮮半島の最前線で、日本人が戦争に関わっていたという記録が初めて明らかになったのだ。尋問後、米軍は一切の口外を禁じ事実を封印していた。

テッサ・モーリス・スズキ氏が別件で公文書を調査していて発見した尋問記録。そこには過去から知られていた後方支援を超えて、前線で実戦に参加した日本人がいた事実がしるされていた*1。その尋問された人々をNHKはさがし、たどりついた遺族から証言を集める。
福岡県の博多にあった駐留軍基地ではたらいていた若者たちが、通訳などのために米軍から協力をもとめられたという。第二次世界大戦終結にともなって大きく軍縮していたため、それが増強されるまで日本からも人員をかきあつめたのだ。当時の朝鮮半島の地図に日本語がつかわれていたことも一因らしい。こんなところにも日本の植民地政策が影を落としていたわけだ。
そしてはげしい戦闘のため、日本人もまた軍属として戦闘に参加することに。現場にいた米兵のひとりは日本人はヒーローだったと日本の取材にこたえ、別の米兵は占領軍に指示されたから従っただけと指摘する。後者の米兵は、避難民に朝鮮人民軍がまぎれていることを米軍が恐れて、北部から戦火に追われた人々を国連軍も攻撃していたことも証言する。その個人としての誠実さに感じいるものがあった。
当時、朝鮮民主主義人民共和国は日本人が戦闘に参加していることを国連で批判したが*2、米国はその事実を公式に否認した。


つづけて放映された後編では、前編では隠されていた日本人の戦死者について克明にほりさげていく。
日本人の戦闘参加を否認した米国は、その戦死者を密航者とあつかい、公式な軍属とは認めなかった。番組は戦死者がどのように米軍と関係をもっていったかを調査し、当時に同じ部隊にいた車椅子の老人と、その部隊をひきいていた大尉の遺した手記を見つけだす。
丸腰の民間人が祖国をはなれた激戦地へ密航することなど容易でないことは当然だが……思えば日本軍慰安婦と業者に対して、勝手に軍隊の後をついてきたと日本政府などが強弁していた過去を連想せざるをえない。責任を逃れようとする国家の理屈はどこもさして変わらない。
そしてドキュメンタリーは2003年のイラク戦争を受けて朝鮮戦争に参加したことを証言した人物や、トランプ大統領と安倍首相の会見と同日におこなわれた朝鮮戦争の記念式典を映していく。遺族は番組の協力で戦死したと思われる地域へいき、身元不明で収集された合同の墓標に案内される……国家が協力した動員によって犠牲となり、不都合になれば隠滅して忘却された個人。
過去の終わった事件ではなく、今もつづく問題として見つめていく。そのような制作者の覚悟がつたわってくるドキュメンタリーだった。

*1:掃海艇が派遣されたことは以前から知られている。

*2:侵攻した側が主張するのはどうなのかと本当に思ったが。

『セイクリッドセブン 銀月の翼』

2011年に1クール放映されたTVアニメを、主人公のライバル視点で約1時間にまとめて2012年に公開された劇場版。

大橋誉志光監督他、メインスタッフの多くはTV版から継続。脚本のみ、第8話にだけ参加していた綾奈ゆにこが単独でクレジット。
主人公の知らないところで戦っていたライバルの描写で、多くの新規作画も追加されつつ、もともと統一感のあったTV版とのつなぎもスムーズ。


TV版は、事件に巻きこまれて特殊能力をえた主人公の視点。1話ごとの怪物を倒しながら、ライバルの謎めいた言動に反発し、やがて味方側で暗躍していた黒幕と戦うことになった。
劇場版は、特殊能力の実験体となったライバルの視点。最初から事態の全容を把握しているので、短い尺でも説明不足がほとんどない。TV版の序盤でライバルが何をしていたかもわかり、全体の見通しが良くなった*1
まっすぐ疑問をぶつけてくるTV版の主人公が、ライバル視点だと何も知らないのに説教してくる面倒くささが理解できるし、説明する時間が惜しい感情もわかる*2


TV版の主人公とヒロインが結末で距離を縮めるサービスもあるし、Blu-ray特典のピクチャードラマは約20分近くの学園パロディが楽しい。
TV版は良くも悪くも優等生すぎて埋もれた感があったが、その生真面目さが制限の厳しい総集編でも楽しめる作品を提示する姿勢につながったように感じられた。

*1:宇宙戦艦ヤマト2199』の総集編ではいったん構想しながらとりやめたそうだが、やはり総集編を短くまとめる時に効果的な方法のひとつだ。『宇宙戦艦ヤマト2199 追憶の航海』 - 法華狼の日記

*2:ライバルだけでなく主人公も会話をすぐにあきらめてしまうため情報の共有が遅れたという構図は、オーディオコメンタリーでスタッフも自覚的に指摘している。

『彼方のアストラ』は最後の謎解きより中盤の謎解きに感心したのだけれど

アニメ全話を見た正直な感想をいえば、ていねいにテンポ良く作られた『無人惑星サヴァイヴ』だな、といったところ。
彼方のアストラを最後までみたので感想を書くよ

SFとして世界の隠された真実に迫る作品なら最終話とあと一話ぐらいの短編で十分でしょ、子供たちが島流しになる必要もない。

アストラをめぐる最後の謎解きは、SFジャンルに限らない古典的なパターンにとどまり、さまざまな試行錯誤をしている過去の作品に比べて説得力を感じづらかった。あまりにも共犯者が多すぎる。
謎解きの端緒となる食い違いの違和感は良かったし、その食い違いが表面化する時に驚かすための仕掛けはていねいで良かったが、その時点で予想できた以上の驚きまでは見せてくれなかった。
むしろ世界の真実は、性別役割*1などの社会観が現代と比べても古びている物語を、現代から見た未来世界で展開させるための設定のように感じた。


比べると、島流しをめぐる中盤の謎解きは、その設定だけなら近い前例があるにしても、この作品のコンセプトに組みこんだこと自体に新鮮さを感じた。
少年少女が極限状況に置かれる導入で、その作為性があからさまであるほど、そのように画策した動機を設定することが難しい。『バトルロワイアル』に代表されるデスゲーム物で、途中までは楽しめても謎解きで肩透かしされる原因になりがち。
それを成立させる技術と、そうする必要性を途中の故郷視点でさりげなく説明。少年少女の設定にバラエティを生みつつ、いかにも少年漫画らしく美男美女ぞろいで、両親や家族に有力者が多いことも同時に説明してみせた。
そうしたSF設定の結果的にせよ、血縁主義や家族主義を逸脱し反逆する展開になったのも珍しさがあった。少年漫画は無力な主人公で始まったとしても、連載がつづくにつれて家族主義や血縁主義にからめとられがち*2


ただ、少年少女のサバイバル物として見た時、生命の危機にどれくらい本気で向きあうかが、ところどころで乱高下したのは気になった。
事前情報で病気や毒を気にしない惑星のみを渡っているという設定で一貫しているなら、それはそれで良かった。なのにヘルメットをしていないせいで毒を吸いこみ全滅直前まで行ってしまう。その毒をめぐる生態系の設定は面白かったし、直後のリゾート的な惑星は納得できたので、もう少し不自然でない少年少女とのからませかたがあったように思える。
同期のアニメで『ソウナンですか?』が現実を舞台に豆知識をまじえたサバイバルを展開していたので、つい比べてしまったのも不運だったかもしれないが。

*1:とはいえ、技術的に活躍する女性が、医療担当のひとりだけというのは、さすがにもう少し工夫がほしかった。

*2:本当は愛されていたという印籠を読者が欲しているといえばそれまでだが - 法華狼の日記で言及した記事では、特に少年ジャンプ系が名指しされてていた。

『宇宙戦艦ヤマト2199 追憶の航海』

2014年に公開された長編総集編。もともと『宇宙戦艦ヤマト2199』自体が各編を劇場公開し、後にTV放映したシリーズなので、新味があることを期待していた。

地球出発までのドラマとイスカンダルからの帰還を大きく削除して*1イスカンダルへ向かう途中が中心となるよう編集。地球への帰還を描いた完全新作長編の『星巡る方舟』への期待感を煽るつくり。
もっと視点を偏らせた作品かと予想していたし、そうした案をスタッフも出していたことが舞台挨拶などで語られていたが、実際は素直に約2時間にダイジェスト。新規カットやリテイクはあるが、シーンそのものの追加がないので、あまり印象が変わらない。帰還時のコスモリバースをめぐる描写が、蘇生的に見えて好みではなかったTV版*2とは違っているように、TV版にわずかにあったツッコミどころはていねいにつぶされていたとは思うが。
艦内の日常を補完するようなEDの新規イラストは楽しかったが、あくまでファンサービスの範疇。良くも悪くも手軽にふりかえって楽しませることに徹した総集編だった。

*1:ついでに女性の性的なサービスカットも相当に減っていて、たとえばイスカンダルでの水着がない。

*2:『宇宙戦艦ヤマト2199』第26話 青い星の記憶 - 法華狼の日記

『スター☆トゥインクルプリキュア』第34話 つながるキモチ☆えれなとサボテン星人!

星空連合からサボローという名前の視察員がやってくるので、星奈たちは出迎えることとなった。やってきたサボテン型の異星人は音声でコミュニケーションがとれなかったが、天宮がボディランゲージで意思疎通に成功する。しかし実家の花を贈ったところ……


今作の小林雄次脚本回では初めて感心できたかもしれない。周囲よりも大人にふるまい難題をやりすごす天宮が、もともとボーダーラインに立つ人間として、いつも以上に苦労を背負うドラマとして印象深かった。
異星人のプルンスですら音声でコミュニケーションがとれないなら、肉体的にまったく異なる地球人のボディランゲージも通用しなさそうだが、そこさえ目をつぶればファーストコンタクトSFとしてよく構成されている。ゲストキャラクターと最後まで言語的なコミュニケーションはおこなわなかったことも、低年齢向けアニメとして挑戦的だ*1


星空連合から調査に来たはずなのにコミュニケーションができないという導入に、実は偶然に来訪した別人という真相を用意。そこまでは古典的なパターンの応用だが、そこから無私の友情をはぐくむ物語につなげた。
宇宙的な連合に認めてもらうためでなければ、もちろん大規模なイベントを招致するためでもない、偶然におとずれた対等な相手への「おもてなし」。それを美しく描いたこと自体に意味がある。
植物型の異星人だから花を切り売りする文化に怒ったのかと思いきや、サボテン型異星人が自身の肉体に咲いた花を贈るラストで、どこまで何を怒っていたのか不明瞭になったが、それも逆にSFとして良かった。

*1:もちろんEテレで放映される短編のように、言語的に未発達な段階の視聴者に向けては、台詞や字幕を用いないアニメは数多あるだろう。しかし「プリキュア」で想定される視聴年齢層は、それよりは少し上のはずだ。