法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

一般論として、『セクシー田中さん』のようにメディアを変えるなら物語も変える必要があるし、『ぼっち・ざ・ろっく』もふくめて脚本家に映像に意見する権利はあっても物語を決定できる権限はない

 吉田恵里香氏のトークイベント記事への反応について、下記エントリでは別作品、特に『ドラえもん』にしぼって原作とアニメの異動例をならべた。
連載作品で方向性のかたまっていない初期の描写は、メディアミックスで削られるだけでなく、作者自身も単行本化で削ったりするよね - 法華狼の日記
 しかし注目された『ぼっち・ざ・ろっく』は吉田氏の仕事について原作者もふくめた関係者から高評価されており、人気作として読者や視聴者からも充分に反論されている。特にガールズバンドアニメが好きでもない立場でつけくわえたいことはなかった。
 しかし元立憲民主党の都議だったこともある栗下善行氏のように、影響力のある立場から多大な問題のある発信がされていることを見かけて、いくつか批判的に記録しておく。

脚本家は性を売りにする作品で性的な描写をすることはいっさい否定していない
原作者と相談した脚本家による改変は、原作者を無視した改変と同じ問題なのか
別業界の脚本家が原作者やアニメスタッフの成果を横取りしたわけではない
映像を決めるのは絵コンテだが、脚本家が映像面に意見できないわけではない
映像の最終決定権をもたない脚本家の一貫性を映像だけで判定することは不可能
ノイズになるテンプレートな描写はしないことは、意味があるなら描写するということ

脚本家は性を売りにする作品で性的な描写をすることはいっさい否定していない

 栗下氏は英語で発信をおこない、外国からの吉田氏への否定的な反応を呼びこんでいるようだが、その主張はいくつもの問題がある*1


An interview article in Japan has sparked controversy in which the screenwriter of the popular anime "Bocchi the Rock!" claims to have removed some of the original content as "noise." She also commented that she made efforts to avoid sexual exploitation of characters, suggesting that her ideology was being incorporated into the work. Essentially, this is similar to localizers modifying works to embody their own ideology, and the same problem is occurring in Japan. Last year, a devastating incident occurred in Japan, where a manga author committed suicide in grief after undesirable changes were made to the original work. While it's unclear how the original author feels about this incident, fans of these works expect the original work to be faithfully reproduced, and any inclusion of other intentions would be considered "noise." As a consumer, I hope that greater respect for the original author is emphasized.
人気アニメ「ぼっち★ザ★ロック!」の脚本家が、原作の一部を「ノイズ」として削除したと主張するインタビュー記事が日本で物議を醸しています。また、キャラクターの性的搾取を避けるよう努力したと述べ、自身の思想が作品に取り込まれていると示唆しています。これは、ローカライズ担当者が自らの思想を体現するために作品を改変するのと似ており、日本でも同様の問題が発生しています。昨年、日本で、原作に望ましくない改変が加えられた漫画家が悲しみのあまり自殺するという痛ましい事件が発生しました。原作者がこの事件をどう受け止めているかは定かではありませんが、これらの作品のファンは原作が忠実に再現されることを期待しており、それ以外の意図の混入は「ノイズ」とみなされるでしょう。消費者として、原作者への敬意がより一層高まることを期待します。

 栗下氏もリンクしているKAI-YOU記事だが、冒頭で説明しているようにトークイベントのレポートであって、インタビューではない*2
『ぼざろ』『虎に翼』の脚本家 吉田恵里香が語る、アニメと表現の“加害性” - KAI-YOU

シーンのトップランナーである彼女が抱えるドラマやアニメにおける問題意識や、異色の“魔法少女モノ”として話題を呼んだ『前橋ウィッチーズ』といった作品群の制作秘話、そして貫き続ける哲学など、ボリューム満点で行われたイベントの模様をレポートする。

 一般的にイベントのレポートはライターが注目したところを抽出した内容と解するべきだろう。インタビューと違って地の文などは基本的にライターの要約だし、表現も引用ではない部分はライターによるものだ。
 くわえて搾取の否定は、アニメオリジナル作品の『前橋ウィッチーズ』についての説明だった。そのシリーズ構成と全話脚本を担当した吉田氏の思想が作品にとりこまれないわけがない。

「ファンの皆さんにはキャラクターをどう捉えてもらっても構いませんし、個人で何を描いても、何を想像しても自由だと思います。ただ公式側が『さぁ搾取してください!』と言わんばかりにばら撒くのは抵抗があるんです」
特に『前橋ウィッチーズ』のような10代の女の子たちを描く作品の場合、現実に置き換えると未成年を性的に搾取するということになるといえば、問題の深刻さは明らかだ。
「アニメの表現だからってなんでもありじゃない。“絵だけど、未成年だぞ”って考え方は大事にしています」

 その流れで『ぼっち・ざ・ろっく』の描写を改変した話題が出ているが、吉田氏は変えた部分を「ノイズ」と表現しているし、栗下氏も「性的搾取」とは別の話題とあつかっている。

「原作ではひとりちゃん(※主人公の後藤ひとり)が水風呂に入るシーンで裸になっているんですが、アニメでは水着にしてもらいました。ぼざろがそういう描写が売りの作品ならいいと思いますが、そうではないと思いますし、覇権を狙う上ではそうした描写はノイズになると思ったんです」

 読んでのとおり吉田氏は「そういう描写が売りの作品ならいい」とも明言しているし、ゾーニングの重要性をうったえる後段で性的描写そのものは否定しないことも明らかにしている。

過激な作品やR18まで振り切ったものがあってもいいですし、やると決めれば私も思いっきりそうした作品に関わることもあると思います。

原作者と相談した脚本家による改変は、原作者を無視した改変と同じ問題なのか

 栗下氏は原作者の意図がつたわらないため問題となった作品、おそらく原作者が自死した『セクシー田中さん』を前例としているが、『ぼっち・ざ・ろっく』は原作者も直接的にアニメ制作側と意思疎通をしていた。
 レポート記事でも「原作サイドもとても協力的」とふれられているし、下記インタビュー記事で吉田氏は脚本のうちあわせに原作者も毎回参加してくれたと証言し、相談しやすかったとふりかえっている。
ジャンプラ読切沼のわたしたち | 吉田恵里香(脚本家・小説家)

『ぼっち・ざ・ろっく!』でいうと原作者のはまじあき先生がシナリオ打ちに毎回同席してくださったので、相談しやすかったのも大きいです。もちろん、原作者の方に「このように変更しました・したいです」とお話した際に「そこは絶対に変えないでください」と言われることもある。その場合は演出など他の担当の方に相談してニュアンスを調整します。

 特に言及はないが、このインタビュー記事ではつづけて『セクシー田中さん』の事件を意識したような考えも語っている。

原作者さんの負担にならないように編集担当さんが間に入る場合が多いですが、話せるならば直接話しておいた方が、結果的に関係者がみんな納得できると思います。途中で介在する人が多いと、どうしても伝言ゲームになってしまう。伝えたい意図が省かれたり、変わってしまったり、誰かに責任を押し付けられることもある……それですれ違うのは悲しいことです。だって自分が描いた作品を、なんの相談もなく変えられるのはイヤじゃないですか。だから変更するならちゃんと意図も伝える。ちゃんと説明することで納得してもらえること、別のアイディアをいただけることは多々ありますから。

 そしてSNSで原作者のはまじあき氏が自作とは直接の関係がない作品の宣伝もおこなっている。原作者が吉田氏に特段のわだかまりを持っているとは考えづらい。


吉田さんは本当に素晴らしい脚本家さんです!✨
虎に翼皆も観ましょう!

 そもそも『セクシー田中さん』の実写ドラマ化が問題になったのは、原作者の意図がそこなわれたり、忠実にするべきと要求した部分が無視されたためだ。すべての描写を原作と同じにする要求がとおらなかったためではない。
 原作が連載中だったため、むしろ結末はドラマオリジナルにすることが求められ、そのために原作者があらすじや台詞を提供すらした。原則として変更しないことを求めつつ、要望が無視された脚本が返されても「足りない箇所、変更箇所、意見はもちろん伺う」と相談しようとした。


 原作が連載中であるためメディア化で独自の結末が求められることは珍しいことではない。たとえば『鋼の錬金術師』のTVアニメ化では、原作の序盤をふくらまして完全に異なる世界設定を構築して独自の最終回をむかえた1作目と、1作目の原作にそった部分は省略しつつ途中から原作と完全に歩調をあわせた最終回をむかえた2作目がある。
 その1作目の脚本で中核*3をなした會川昇氏は、2003年の時点で原作者の担当編集らがアニメ制作に深く関わっていたことを証言している。


例えば自作でも脚本での改変が多いと認識されがちな「十二国記」「ラブひな」はいずれも作者の担当が常に打ち合わせに同席し、作者の意思を伝え、場合によってはその場で作者に問い合わせるなど積極的に脚本作りに参加していた。「鋼の錬金術師」ではスクエニから出版部のトップ、担当編集、ライツと

 上記も原作者が直接同席したわけではなさそうなので、たとえば『さくら荘のペットな彼女』のように原作者も一脚本家として参加するような後年のTVアニメと比べれば意思疎通に失敗する余地はあるものの、問題は描写の改変そのものではないとわかるだろう。
 もちろん原作者が納得して賞賛すらしても描写を改変するべきではないと読者や視聴者が主張する権利もあるが、その時は改変を否定する根拠として原作者への敬意をもちだすべきではない。

別業界の脚本家が原作者やアニメスタッフの成果を横取りしたわけではない

 吉田氏が原作者だけでなく他のスタッフへの敬意がないという批判は、栗下氏だけではない。
 たとえば現実にジャーマンロックのボーカルをつとめる「魚か@naakass」氏*4は、吉田氏がテレビ業界の脚本家としてアニメ業界で好き放題しようとして、製作チームがなだめすかしていたと想像している。


吉田恵里香のあれ、要はテレビ業界で勢いある私様が脚本やってやったことでぼっちざろっくみたいなうだつが上がらない作品を覇権作品に仕上げたやったんですわ!そりゃ売れないエロ要素なんて外した方が国際的にええでしょ??wwwみたいな感覚だったんだろうなと。。。。


あの勢いとその後の虎に翼のヤベえ感じとを合わせると、なんというかテレビ業界の癖が強い面倒な痛い脚本家様がアニメ業界に乗り込んできて好き放題ヤベえ要素を放り込んでくるのを製作チームでなだめすかしながらなんとか仕上げてったようなとこもありそうで。。。

擲弾兵@4回目接種済@tekidanhei」氏のように、全話脚本を担当したシリーズ構成が作品に「寄生」していると主張する動きもあった。


『ぼざろ』に関しては脚本家の功績は低く、功績の大半は監督・演出・作画・声優・音楽スタッフ。
しかも製作はクローバーワークスが手掛けたこともあり、丁寧だが最初から覇権狙いの作品ではない。
こういう成功作に脚本家が寄生するようなら次回作以降は彼女には脚本担当してほしくありませんね。

 もちろんレポート記事にあるように、吉田氏は自身の仕事について語るトークイベントでも、原作を賞賛して他のスタッフを高く評価していた。

「原作がまず素晴らしく、原作サイドもとても協力的で、監督含めスタッフも音楽チームも本気で動いてるし、けろりらさん(※キャラクターデザイン/総作画監督)もすごく良い絵を描いてくれている。制作の段階からこれなら覇権が取れるって思える作品なのに、そうしたノイズがあると多くの人に見てもらえなくなってしまいます」

 ここでの吉田氏は、自身の仕事を覇権*5をとる時のマイナスを削ることと位置づけていて、覇権をとれるだけのプラスは原作や他のスタッフによるものと表現している。
 くわえて脚本家としての吉田氏は2011年のTVアニメ『TIGER & BUNNY』における各話共同脚本が初めての仕事のはずで、実写作品の脚本を手がけるようになっても複数のTVアニメにシリーズ構成として参加している。正直にいえば『TRICKSTER -江戸川乱歩「少年探偵団」より-』は雑破業も参加して2クールもかけながら良かったと思い出せる物語がなかったし、『神之塔 -Tower of God-』は「ノイズ」を排除するどころか1期目の最終回に唖然とした印象が強いが*6
 いずれにしても吉田氏がテレビ業界からアニメ業界に乗りこんできたという「魚か@naakass」氏の認識は時系列から間違っている。むしろアニメ出身の脚本家が実写でも活躍している一例と考えてもいいくらいだ。

映像を決めるのは絵コンテだが、脚本家が映像面に意見できないわけではない

 集団作業の評価を一脚本家の吉田氏が自分ひとりの成果として喧伝しているという反発は、他にも複数あり、しばしば支持されている。
 すでに批判もされているが、4コマ漫画をつなげて30分枠のTVアニメにする作業は大変ではないという「うぃっちわっち(丁稚)@Witchwatch99」氏の主張がある。


更に付け加えるならば、この脚本家の人、「ぼっち・ざ・ろっく」においてはさほど評価されるような仕事してないんですよ。


朝ドラみたいに原作があるのかないのか分からないような作品で、TVサイズに合うようにストーリーを切り貼りして再構築して、普段は映画なんて観ないような層にも理解して貰えるように分かりやすく簡潔なストーリーやセリフにしたりするにはそらもう大変な仕事だと思います。


で、「ぼっち・ざ・ろっく」はどうかと言いますと、ほぼ原作を落とし込んでてTVサイズに改修する作業がさほど大変だったようには思えません。
視聴者に理解しやすくするための改修も殆ど行われていません。


どちらかというと原作が4コママンガなので、簡潔に描かれてるその行間を読み取って話を盛る必要がありますが、それぞれのエピソードに脚注的な話を添付して広げるような事は殆ど行われてません。


そういった原作の表現を広げる行為は、原作では1コマしか描かれて無かった「承認欲求モンスター誕生シーン」とか「ダム」とか「チケット捌けなかったメンバーはクビだよ」みたいなシーンで行われています。
あと、「ダーウィンが喜多」とか、「クイーン・オブ・ウェイ」とかw


これらのシーンを脚本家さんが考案してるのなら大したもんだと感心しますしむしろジェンダー表現よりもむしろそっちを誇るべきです。
ところがそんな様子は皆目ありません。


それらのシーンを作ったのはおそらく演出さんです。
後藤さんの妄想シーンに実写やCGが使われてるのは作画作業量を減らす意図もありますし、そういった発想はアニメ専属ではない脚本家には出て来ないでしょう。
出て来るんだったら紛れもない「本物」ですが、それを本人どころか周囲もアピールする様子が無いので、本物ではないか、本人も周囲もアピールヘタクソかのどちらかで、おそらく前者です。


なので、少なくとも「ぼっち・ざ・ろっく」においてはこの脚本家さんはさほど評価されるような仕事してたとは思えないのです。


ところが、ライブシーンなどでとんでもない作業量をこなして徹夜の連続だった作画班を差し置いて、脚本家の人がブレイクの仕掛人みたいにピックアップされるの凄く違和感あったんですよ。


この人がメディアに取り上げられたの今回が初めてではなく、放送終了して数ヶ月経った辺りでも一度メディアに取り上げられてて、その時はジェンダー的な話は無かったんですが「朝ドラもやってたヒットメーカー」みたいな紹介されてました。
なので彼女を推して業界の重鎮にして影響力を付加したい勢力が存在するんだろうな、と勘繰るのには十分でしょう。


少なくとも2期には彼女に参加して欲しいとは思えません。

 しかし注目されたレポート記事は、あくまで脚本家の吉田氏のトークイベントでかかわった作品のひとつとして『ぼっち・ざ・ろっく』が言及されたのであって、『ぼっち・ざ・ろっく』という一作品をテーマとしたトークイベントではなかった。それでも引用したように吉田氏はヒットできる要素として原作や他のスタッフをあげていた。
 推されていると思うほどメディアに吉田氏がとりあげられているとは思えない。統計的な根拠とまではいえないものの、『ぼっち・ざ・ろっく』関係のインタビューへのリンクをあつめた下記noteを見ると、大半が声優関係だ。監督やアニメーターのインタビューも複数ある。吉田氏の名前が前面に出ているのはレポート記事くらいだ。
【随時更新】ぼっち・ざ・ろっく!インタビュー関連リンクまとめ|ぱせり
 前後して「うぃっちわっち(丁稚)@Witchwatch99」氏はレポート記事を読んでいないとしか思えない主張もしている。主人公に水着を着せるのは一般的に演出の仕事だという、それ自体は正しい話ではあるが。


あと、この人が言ってるおかしな点をもうひとつ。


後藤さんが氷風呂に入るシーン、原作では普通に全裸だったのをアニメでは水着を着せた、という点。


ここもジェンダーウォッシュだと揉めてるんですが、そもそもこの人「脚本家」なんですよ。
入浴シーンを水着にするみたいな判断するのはアニメだと本来は絵コンテ切る「演出」がやる仕事で、「脚本家」は全体のストーリーを構築したりセリフ組んだりするのが仕事の筈です。


無論、アニメの現場なんて狭い環境でやってるんで、誰かが自分の管理外のアイデア出して「こんな風にしてみたいんですけど」ってのはあって当然ですが、本来なら越権行為なので咎められて然るべきです。


また、この脚本家さんはイベントの中で“女の子たちが互いの胸の大きさについて言及し合う描写”という話をしています。
まぁ確かに昨今の美少女系アニメでは定番ネタですが、少なくとも「ぼっち・ざ・ろっく」においては原作のキャラが胸の大きさについて言及し合うシーンはありません。
アニメ1期の範囲では他のバンドメンバーが後藤さんの胸が思いの外に大きい事に気が付くシーンがあってモノローグで言及しているだけで、声には出してません。


「後藤さんは実は巨乳」という設定は、原作では特にエロ表現としては使われておらず、ギターテクニックや実はビジュがいいなどの「後藤さんの隠れた魅力」のひとつとして表現されてます。
そもそも原作はエロ表現を積極的に行っていません。
例えばアー写撮影の時に後藤さんがパンチラやらかして没カットになるシーンがありますが、そのカットは読者に見せずセリフのやり取りだけで流されてます。


元々性的表現が控え目な作品なのに、キャラクターを表現してる属性を更に削ってるんですね。
それも本来自分の担当ではない工程に対して越権行為で。


まぁ私もいわゆる美少女物においてパンツがやたら見えたり胸が破裂しそうだったりするのはどうなの?と思っていたので「抑え目にすべきでは?」という声が出るのは仕方ないかなとは思うのですけど、そもそも出てもいない物を更に削って作品を無味無臭にしてしまうのは如何な物かと思います。
しかもそれが越権行為ならば尚更。

 後半を見るかぎり、「うぃっちわっち(丁稚)@Witchwatch99」氏も「そういう描写が売りの作品ならいいと思いますが、そうではない」という吉田氏の考えを肯定しているようではある。
 しかし水着の有無は絵コンテ段階で決定されるという一般論を主張しているが、それが越権行為であるという主張には何の根拠もない。たしかに一般的に考えられ批判の理由にされているよりも脚本家は他のスタッフの意見をまとめる側面は大きいが、それは脚本家が映像面のアイデアを出さないということにはならない*7。今回は吉田氏が水着を着るように改変したと説明した話題がひろまっているのに、否定する関係者は今のところひとりもいない。
 そもそもレポート記事の後半で、実写よりもアニメの脚本はト書きを細かく書くことや、そうくわしく書かれるようになった業界の変化についての説明がある。

「同じシーンを書くとして、『○○と言い、震えながら水を置く』とか『○○と言いながら水を置くが、雑に置くので水が揺れている』のようになります。忠実に守ってもらうためというよりは、私がどうキャラクターやシーンをイメージしているかを伝えるためなので、省かれてしまっても構いません」

そもそもアニメ業界では、ここ10年で脚本のト書きが詳しく書かれるようになったという変化があるそうで、「そもそも詳しく書くタイプじゃない」という吉田恵里香さんも、どういう思いでそのセリフを言っているかの補足部分である「()ト書き」(かっことがき)を書き込むことがあるという。

「【ユイナ:「え~!(怯えながら)」】とか【ユイナ:「え~!(本心では言ってない)」】のように、芝居のニュアンスとして絶対に外さないでほしいところは書きます」

 たしかに例示を見ると、昔に商業出版されたような脚本よりも視覚的な表現が細かい。その意味では「うぃっちわっち(丁稚)@Witchwatch99」氏の一般論も昔は正しかったのかもしれない。しかし今はここまで細かく指定しているのであれば、服装などにも脚本家が意見をのべることに何の不思議もないとわかるはずだ。

映像の最終決定権をもたない脚本家の一貫性を映像だけで判定することは不可能

 先述した『TIGER & BUNNY』での初脚本回で、ダブル主人公のひとりバーナビーが半裸のグラビア撮影をおこなっている描写があることが、吉田氏の矛盾であるかのような反応がいくつかあり、はてなブックマークも集めていた。
[B! togetter] 【まずい】アニメの女の裸をノイズ扱いした女脚本家さん、男の裸を出しまくるアニメを脚本していたことが発覚www
[B! 増田] 吉田恵里香さん擁護派の論陣がだいぶメチャクチャ
 しかし該当の描写について吉田氏の一貫性を問いたいなら、最初に争うべき対象は吉田氏ではない。吉田氏の成果を否定するため脚本家は映像にかかわる権限がないと主張する「うぃっちわっち(丁稚)@Witchwatch99」氏らであろう。レポート記事でも吉田氏は脚本家として映像に意見しつつ、いったん脚本で決めたことが省かれて映像化されることを否定しておらず、完成した映像における一貫性の全責任を負える立場ではない。
 しかも該当回は西田征史シリーズ構成との共同脚本であって、映像の描写すべてを脚本が決めると仮定しても吉田氏による描写とはかぎらない。さらに絵コンテや監督のように映像を変更できる権限をもつ役職をへて最終的な映像が完成する。仮に性的な半裸描写を吉田氏が反対したとしても、それを押しとおせる立場だったとは思えない。脚本家がどれくらい意見して、それが映像にどれくらい反映されたのかは、どちらも制作側の情報がないかぎり視聴者は推測するしかない。


 そもそも引用してきたように、吉田氏は性描写そのものを全面的に否定しているわけでもない。
 バーナビーは『前橋ウィッチーズ』のような未成年ではないし、『ぼっち・ざ・ろっく』の「ノイズ」と違って全裸でもない。作品自体が超常能力をもつヒーローがメディアで広報もおこなってスポンサードされているという設定で、グラビア写真は盗撮などではなく芸能活動の一環である。もうひとりの主人公虎徹がアイドルまがいの活動に拒否感を語っても、バーナビーは毎日が楽しいと応じる。
 該当回は、そうした華々しい芸能としてのヒーロー活動でも活躍する主人公は比較対象であり、最上位の人気から落ちながら地道に人々の生活を守ることをつづける元トップヒーローの再起が主軸だった。単独で完結したエピソードとして完成度が高く、今でも印象に残っている。
『TIGER & BUNNY』#15 The Sky's the limit...(限界は空高くに…) - 法華狼の日記
 ちなみに露出度が高い男性キャラクターとして強敵のジェイク・マルチネスは吉田脚本より前にも登場していたし、もうひとりの主人公の虎徹も傷ついた時はたびたび肌をさらしていた。売りなのかはともかく、最初からそういう作品だったといえるだろう。
ジェイクTシャツ [TIGER & BUNNY] | キャラクター公式グッズ&アパレル製作販売のコスパ|COSPA | COSPA,inc.

ジェイク・マルチネスの正面と背面の設定画。タトゥーが刻まれた上半身を見せている。

ノイズになるテンプレートな描写はしないことは、意味があるなら描写するということ

 あまり指摘されていないようだが*8、TVアニメ『ぼっち・ざ・ろっく』でも第11話において、主人公の後藤ひとりが配信において水着姿になっている妄想が描かれている*9

配信映像のなかで青ざめた表情でギターをかかえている水着姿の主人公。左下と右下にその光景を想像する主人公とバンドメンバーの顔。

 これは『TIGER & BUNNY』で主人公が人気をあつめるため半裸姿になった描写と似て、主人公が人気をあつめるため水着姿にされかねないことを恐れている描写だ。作中における現実と非現実という違いや*10、主人公が納得しているか拒絶しているかという違いはあるが、性的な消費をされるうる姿になることが物語で意味をもつ場面として映像化されたことは変わらない。
 もちろん吉田氏がこの描写にどこまで関与しているかはわからない。シリーズ構成として単独脚本でクレジットされていることから『TIGER & BUNNY』より深く関与して権限も強い可能性は高いが、誰のどのような意図で描写されたのかは公式の情報がなければ断言はできない。しかし主人公がそのような姿になることに物語として意味があれば映像化されるという一貫性が吉田脚本回にあるとはいえる。


 話題の発端にもどると、第2話で氷風呂に入る主人公は水着をつけているように改変されて、その意図が吉田氏によるものと説明されたわけだが、ただ服装を変えただけではない。
 つづいて氷風呂に入っているカットでは水面が透けないため水着すら見えず、主人公が瀕死の表情を浮かべていることを印象づけていた*11

アヒルのオモチャと多数の氷が浮かぶ風呂。水面は緑色で体はほとんど見えず、青ざめて白目をむいてふるえている主人公の頭部だけが中央に見える。

 ここでの主人公は、体調を壊すことでアルバイトから逃げようとしている。その奇行ぶりをつたえること女体を見せるより優先した映像になっていると解するべきだろう。露出度の高い主人公で性的に楽しませることを目的にしているなら、このような表情や透明度は選ばないだろう。
 そしてTVアニメだけでなく原作漫画の『ぼっち・ざ・ろっく』も単行本を追いかけるくらい愛好しているなら、上記カットが連載部分より単行本の追加部分に近いことを知っているはずだ。

 連載部分では思いつめた表情の主人公に氷風呂は透けて裸体が見えるが、追加部分は水面が透けていない氷風呂で主人公はアニメ化と同じ白目をむいた変顔をしていた。つまりTVアニメは単行本で改変された延長線に最初から近づけた改変ともいえるのだ。
 全裸から水着に変更したことで連鎖的に改変された描写もある。原作では下着姿で扇風機にあたって体調を壊そうとする描写が、アニメでは水着姿で扇風機にあたる描写になっている*12

部屋で背中を向けて座るスクール水着姿の主人公。左にある扇風機にむかってギターをかまえている。

 ここで水着姿に変えられた効果は、第三者に見られることを社会で前提としていることや、露出度が下着よりわずかに少なくなること、だけではあるまい。氷風呂に入った時と同じ姿であるがゆえ、濡れた状態で扇風機にあたっていると一目瞭然になっている。これが下着でなくても別の服装であれば、着替える過程で肌から水分がぬぐわれた印象が生まれたかもしれない。
 つまり水着さえつけていれば性的な消費と批判されなくなったとか*13、逆に水着でも性的な消費はできるとかいった反応は、作品が総体として何のために何を描いていたのかが読みとれていないのだ。

*1:見かけた時はコミュニティノートがつけられていたが、現在は消えている。日本語訳はgoogle翻訳を手なおしせずもちいた。

*2:引用時、太字強調やリンクを排した。以降も同じ。

*3:會川氏は原作のある作品ではシリーズ構成ではなくストーリーエディターという役職名をつかっている。

*4:陰謀論映画と知らされて高評価をとりさげることを言論弾圧と呼んだり、フィクションと明示しているゲームへの学術会議の介入を求めたりと、もともと表現の自由に対立的で陰謀論に親和的な人物ではある。 アンチフェミニストの敗訴に不服な立場から、司法を物理的にとりかこもうとする話が出つつある - 法華狼の日記

*5:念のため、商業作品である以上は商業的な大成功を目的にすることは当然ではあるだろう。しかし「覇権」はあまり印象の良くないネットスラングであり、できれば公式関係者は使用してほしくない思いがある。ただレポート記事のニュアンスからは、このネットスラングがアニメ制作者の内部でも定着しているように感じられる。その意味ではひとつの証言として興味深い。

*6:それゆえ、ある意味で必見だとも思っているくらいだが。ウェブトゥーン原作アニメという観点で紹介したように、作画もかなり良いものではあったし。「Webtoon」の勢いは台湾のgoogleトレンドを見ると少し実感できるかもしれない - 法華狼の日記

*7:たとえばサンライズ初の完全デジタルアニメだった『BRIGDOON まりんとメラン』で、作品世界のキービジュアルとなる逆さまの世界を考案したのは全話脚本を担当したシリーズ構成の倉田英之氏だったという。

*8:主人公の水着姿のグッズが販売されたことが脚本家の主張に反しているという反応に対して、すでに本編にも水着姿が登場しているという指摘はあった。

*9:9分22秒。

*10:描写は同じでも作中作であれば過激な描写ができる前例として、仮想ゲーム内の食人を描写した映画がある。『ジュマンジ/ネクスト・レベル』 - 法華狼の日記

*11:11分23秒。

*12:11分44秒。

*13: