法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』

 世界を回復する戦いがつづくなか、シンジとレイは日本のちいさな農村で生活することになった。まともな記憶をもたない人造人間ながら農作業をてつだうレイと、何もできずに同じ一日を反復するように生きていくシンジ。そんなシンジをアスカは発奮させようとするが……


 2021年に公開された、新劇場版4部作の完結編。タイトルの最後の「:||」は厳密にはリピートを意味する演奏記号。

 新劇場版の表記をカタカナの「シン」に変えつつ、「ヱ」や「ヲ」の表記を旧作にもどしたことが象徴するように、良くも悪くも気負いを感じないつくり。


 ひどい時代に避難所のようにつくられた共同体の理想郷ぶりや、そこに懊悩する主人公が異物として迷いこむ内容など、構造として『もののけ姫』のようだと思った。
 その延長として、どれだけ商業的でもアニメ作家というものは、華のない中年男女の地味な労働や日常生活も描きたくなるのだろうと思った。『おもひでぽろぽろ』『イーハトーブ幻想~KENJIの春』『マイマイ新子と千年の魔法』等も、意外と思想だけではないそういう要素が大きいのかもしれない。農作業する黒いレイもTVアニメ版のレイをトレースするように体験して感情を見せていくが*1、授乳する描写から『かぐや姫の物語』みたいだな、と思ったり。
 アスカがシンジに無理やり食べ物を飲みこませる場面の、等身大の行動を生々しく描いたカットも、物語における意味よりもアニメーションに手間ひまをかける楽しさそのものを重視しているように感じられた。


 そのように農村を舞台として前半時点で主人公の少年が救われた後は、子供のような人格のまま父親となった男の救済劇として終わっていく。画面から緊張感がうしなわれ、設定のスケールアップに反比例してドラマがスケールダウンしていく。
 同年に公開されたSF漫画原作のアニメ映画『シドニアの騎士 あいつむぐほし』が、せっかく雰囲気ある強大な敵との戦いのなかで、陳腐な高笑い系マッドサイエンティストがひっかきまわしたことを思い出した。

 ただ、前世紀から作り手も受け手も魂がとらわれてきた「エヴァ」を、重々しく感じる必要などないのだと認識しなおして、気負うことなく終えられた、それ自体が一種の救済だと思えなくもない。だとしても、もう少し娯楽としての見どころが後半にもあれば良かったのだが……

*1:ただゲンドウへの愛情と、激情は欠落している。