法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『劇場版SHIROBAKO』は続編だから時代にあわせた変化を期待してはならない、という反論は無理があるのでは……

まだ劇場版は視聴していない*1こともあって言及するつもりはなかった話題だが、「インクエッジ@02Curry」氏のツイートを見かけて、ためにする反論でしかないのではと思った。

まず、「インクエッジ@02Curry」氏自身が後日に第三者へ指摘しているように*2、発端のツイートは登場する女性が「ある種の規格」におさまっているという主張だ。同一人物もふくめて全面的に変える必要はない。
既存のキャラクターが規格にそのままおさまっていても、規格から外れたキャラクターを追加すれば、それだけでひとつの対応になる。
つまり、TVアニメ『SHIROBAKO』では登場しなかった年齢や体型の女性スタッフを劇場版できちんと出せばいい*3。新たなキャラクターに続編の新たなテーマを象徴させることは珍しくない。むしろ、まったく新たなキャラクターを出さない劇場版こそ珍しいのではないだろうか。
そもそもTVアニメ版でも、アニメ業界を去った肥満体のメインキャラクターが激ヤセして再登場するような作品だ。メインキャラクターでもひとりくらい大きくデザインを変えることも、良くも悪くも不可能ではない気はする。


また、メインキャラクターの人相が劇場版で変わることを「あまりに特殊」と断言されると、2006年以降は毎年のようにキャラクターデザインを変更している『映画ドラえもん』を見てきたひとりとして違和感がある。

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総集編でもないのにTVアニメと近いビジュアルの劇場版は、TVアニメ側に劇場版レベルの作品が増えるに比例して珍しくなくなったのではないだろうか。続編でスタッフが集まらず交代したり、TVアニメと同時進行するため劇場版で違うスタッフを集めることも昔はよくあった。もちろん近年でも複数の事例がある。

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機動警察パトレイバー2 the Movie』のようにメインスタッフが仕事をつづけながら、年齢をかさねた登場人物の絵柄をリアルによせて、一種の卒業を描こうとした作品もあった*4

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これは「あまりに特殊」かもしれないが、しかしメインスタッフが続投した続編で変化を期待することができる一例だ。もちろん変化しないことを期待する意見が否定されるべきという話ではないが。
そして、こうした劇場版や続編におけるデザインの変化は、どれも必ずしも「年齢層が違ってみえるくらい人相を変える」作品ではない。それでもファンは向上と喜んだり、変わりすぎと反発してきた。
劇場版や続編におけるデザインは、それ単独で評価されるだけでなく、元のデザインからの差異でも評価されるのだ。有名な漫画『劇画オバQ』にしても単独で見れば頭身は意外と低かったりもするが、原典とのギャップが劇画らしさを生んでいる。

『劇場版SHIROBAKO』も、もしTVアニメ版の女性キャラクターを年齢や立場にそって少し変化させていれば、それだけで発端の小野寺系氏への反論になりえたかもしれない。
数年後につくった作品の絵柄がまったく変化しないならば、それはそれでけっこう「特殊」だろうし、作り手の意図を感じるべきところだ。それについて鑑賞した人の評価はどうだろうか。

*1:Amazonプライムビデオの見放題に入っているので視聴することは難しくないのだが……おそらく今の私がすぐ鑑賞しても、先入観にとらわれて微妙なデザインの評価は難しいだろう。いずれ視聴するにしても時間をおくことになりそう。

また、鑑賞していないので小野寺系氏による『劇場版SHIROBAKO』への論評自体に明確な賛同や否定はしない。今回のエントリは、あくまで劇場版が一般的に変化を期待してもよいか、それともその期待は「ハナからできもしないとわかってること」なのか、という論点が主軸。

*2:

*3:どのような女性が登場しなかったかについては、TVアニメ版だけでも複数の論点があるので、あらためて別のエントリを書く予定。

*4:1作目の時点でも劇場版にあわせてキャラクターデザインをリアルによせて、それなりに反発もあったらしいが。