まだ劇場版は視聴していない*1こともあって言及するつもりはなかった話題だが、「インクエッジ@02Curry」氏のツイートを見かけて、ためにする反論でしかないのではと思った。
『劇場版SHIROBAKO』、TVアニメシリーズから数年経っても女性の描き方がとくにアップデートされてなかったのがつらかった。男性キャラは年齢も体型も様々なのに、女性はある種の規格に収まらなければ存在自体がないことにされるというのが、業界の空気をむしろリアルに映し出しているのでは。 pic.twitter.com/sRcHpOddhH
— 小野寺系 / Kei Onodera (@kmovie) 2021年12月30日
例のツイートでも語られてるけど、小野寺さんが問題提起したのは、2010年代後半の数年のインターバルを経ながら変化が無かった事に対して。『ポンポさん』とはそこが違うので、問題意識に差が出るのは当然なんすよ。 https://t.co/IOjoZUMMms
— るすばん (@NakamotoRusuban) 2022年1月4日
「当然」じゃないです。数年のインターバルがあろうと直接の続編でキャラクターデザインをおおきく改変してあたりまえだというのは「因縁つけ」だと言ってます。そういう視座に照らすべきなのは、変わらなくてあたりまえの続編映画でなく制作元の同系列のテレビシリーズだと。https://t.co/9XHbEq8QHD
— インクエッジ (@02Curry) 2022年1月5日>続編なのにキャラクターデザインが唐突に刷新されるアニメ。メガゾーン23か?
— インクエッジ (@02Curry) 2022年1月5日
一作目と二作目の同一人物。 pic.twitter.com/Y0oQXOb3an直接の続編(あるいはサイドストーリー、前日譚など)でキャラクターデザインが変更されること自体はある…大画面の劇場公開作であることを踏まえ頭身を上げたり、リッチな制作環境に応じてゴージャスになったりすることはあるが、年齢層が違ってみえるくらい人相を変えるようなものはあまりに特殊。
— インクエッジ (@02Curry) 2022年1月5日「額面どおりのコトを思っているのなら、ハナからできもしないとわかってることを”できてない”と指弾するラクチンな遊びに興じるのでなく、なぜ同シリーズの”現在”すなわちPAワークスのお仕事ものの本年放映の最新作でそれをしないのか」と言ってるんです。
— インクエッジ (@02Curry) 2022年1月5日
まず、「インクエッジ@02Curry」氏自身が後日に第三者へ指摘しているように*2、発端のツイートは登場する女性が「ある種の規格」におさまっているという主張だ。同一人物もふくめて全面的に変える必要はない。
既存のキャラクターが規格にそのままおさまっていても、規格から外れたキャラクターを追加すれば、それだけでひとつの対応になる。
つまり、TVアニメ『SHIROBAKO』では登場しなかった年齢や体型の女性スタッフを劇場版できちんと出せばいい*3。新たなキャラクターに続編の新たなテーマを象徴させることは珍しくない。むしろ、まったく新たなキャラクターを出さない劇場版こそ珍しいのではないだろうか。
そもそもTVアニメ版でも、アニメ業界を去った肥満体のメインキャラクターが激ヤセして再登場するような作品だ。メインキャラクターでもひとりくらい大きくデザインを変えることも、良くも悪くも不可能ではない気はする。
また、メインキャラクターの人相が劇場版で変わることを「あまりに特殊」と断言されると、2006年以降は毎年のようにキャラクターデザインを変更している『映画ドラえもん』を見てきたひとりとして違和感がある。
総集編でもないのにTVアニメと近いビジュアルの劇場版は、TVアニメ側に劇場版レベルの作品が増えるに比例して珍しくなくなったのではないだろうか。続編でスタッフが集まらず交代したり、TVアニメと同時進行するため劇場版で違うスタッフを集めることも昔はよくあった。もちろん近年でも複数の事例がある。
hokke-ookami.hatenablog.com
『機動警察パトレイバー2 the Movie』のようにメインスタッフが仕事をつづけながら、年齢をかさねた登場人物の絵柄をリアルによせて、一種の卒業を描こうとした作品もあった*4。
これは「あまりに特殊」かもしれないが、しかしメインスタッフが続投した続編で変化を期待することができる一例だ。もちろん変化しないことを期待する意見が否定されるべきという話ではないが。
そして、こうした劇場版や続編におけるデザインの変化は、どれも必ずしも「年齢層が違ってみえるくらい人相を変える」作品ではない。それでもファンは向上と喜んだり、変わりすぎと反発してきた。
劇場版や続編におけるデザインは、それ単独で評価されるだけでなく、元のデザインからの差異でも評価されるのだ。有名な漫画『劇画オバQ』にしても単独で見れば頭身は意外と低かったりもするが、原典とのギャップが劇画らしさを生んでいる。
『劇場版SHIROBAKO』も、もしTVアニメ版の女性キャラクターを年齢や立場にそって少し変化させていれば、それだけで発端の小野寺系氏への反論になりえたかもしれない。
数年後につくった作品の絵柄がまったく変化しないならば、それはそれでけっこう「特殊」だろうし、作り手の意図を感じるべきところだ。それについて鑑賞した人の評価はどうだろうか。
*1:Amazonプライムビデオの見放題に入っているので視聴することは難しくないのだが……おそらく今の私がすぐ鑑賞しても、先入観にとらわれて微妙なデザインの評価は難しいだろう。いずれ視聴するにしても時間をおくことになりそう。 また、鑑賞していないので小野寺系氏による『劇場版SHIROBAKO』への論評自体に明確な賛同や否定はしない。今回のエントリは、あくまで劇場版が一般的に変化を期待してもよいか、それともその期待は「ハナからできもしないとわかってること」なのか、という論点が主軸。
*2: いやそりゃレスが返せる(=言い分に隙がある)ものにのみ返している(=返せるものしか元ツイートにレスがつかない)からですよ。それよりも気になるのは「ある種の規格」と述べているツイートを引用しながら「美少女」なんて言葉に脳内変換してしまう言語感覚の粗さですわ。https://t.co/4HNuAnpci0
*3:どのような女性が登場しなかったかについては、TVアニメ版だけでも複数の論点があるので、あらためて別のエントリを書く予定。