法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『海猿』

海上保安庁で新たに潜水士となるべく集まった十数人の若者たち。人命救助という目標は建前で、実際は異性にもてたかったり、安楽な仕事を求めてだったり。しかしすべてが嘘というわけでもない。そしてはじまる過酷な訓練のなかで若者たちは心身ともに成長していく……


佐藤秀峰の初連載漫画を完結後に映像化したシリーズの1作目。フジテレビとROBOTが制作し、2004年に公開された。

フジテレビの無断行為を原作者がとがめたため、数年前からTV放映やWEB配信はおこなえなくなっている。しかしDVDやBlu-rayが販売されていた人気作品なので、今でもシリーズ全作品を視聴することは難しくはない。


この1作目は漫画の過去エピソードをふくらませたオリジナルストーリーで、基本的に訓練時代で物語が終始。全体としては『ウォーターボーイズ』などの部活映画を延長したよう。

一応、大半の出動が遺体の回収しかできないと教官から説明されたり、カルネアデスの舟板のような究極の選択がつきつけられたり、悲惨な人身事故が発生したりはする。
しかし主人公やそのバディが過酷な訓練に身を投じた背景が台詞だけで説明されるように、あまりドラマの重みを出さずに定番の描写として流している。
終盤のとある規格外の行動を屁理屈で合法化させた展開も、そうした部活物の世界観であり、選択が生死と直結する世界として描いていた部分と切りはなされている。


ゆえに部活物らしい青年たちの成長ドラマとして楽しむべきなのだろうが、十数年前の作品ということを考慮しても、女性への性欲丸出しの主人公たちの印象が良くない*1。念のため、劇中でも嫌悪される行動として位置づけられ、「海猿」という蔑称にも重なってくるわけだが、最終的には女性側がほだされるように許してしまう。
部活物のように未成年なら成長途上として許される過ちでも、特殊訓練に立候補するくらい成長した大人が同じことをやれば人格に疑問をもたずにいられない。もちろん閉鎖的な集団で加害欲が暴走することも現実にあるが、その意図で描写するなら社会問題として描くしかないだろう。
物語の展開に女性関係が必須というわけでもない。きちんと女性と少しずつ距離を縮めていく誠実な青年が主人公のバディとしてドラマで重要な位置をしめているが、主人公の行動がそれと対比されて問題として向きあってくわけでもない*2。少なくともこの1作目に限れば、主人公の相手となる女性は登場させなくても物語そのものは駆動する。


後のシリーズで見られるVFXを活用したディザスター描写も、エンディング後の次作予告的な映像だけ。
とはいえ水中セットや水中撮影などは意欲的に多用され、海上保安庁が協力したさまざまな艦船やヘリコプターの映像も見ごたえあり、演出もTVドラマレベルとはいえロケに予算が気になるような粗はない。
訓練学校の描写はプール以外も教室や寮まで大半が実物だそうだが、きちんと映画で成立するよう飾りこんでいる。プールの透明度を確保するため、くりかえし水をいれかえて清掃した効果もあるのだろう。
撮影した年は梅雨明けが遅かったらしいが、その自然の雨を逆用して、心情や日時の経過の描写に活用。ライセンスをもつ主演の伊藤英明をはじめ、スタントなしで撮影した本物の映像もあわせてリアリティを生んでいる。さすがに実際に重量がある錘を撮影で使用したことは、そこまで本物志向でなくても良いのではないかとは思ったものの*3、当時の日本映画がハリウッドに追随して、まだまだ韓国映画の先を行っていたことを思い出させる。

*1:ただし性的描写そのものは、セミヌードのポスターをのぞいては、女性の裸は肩までくらいしか見せない。訓練後の入浴シーンなどで主人公たち男優側ばかり堂々と全裸になる。実際の海上保安官アイデンティティを見せつけるように、羽目を外す時はよく脱ぐという。オーディオコメンタリーの開始19分ごろ。これはこれで、いわゆるボーイズクラブのホモソーシャルな問題を感じたが。

*2:この工藤という青年は原作漫画でも技術的に劣る落伍者として同じようなドラマ上の立ち位置にあるが、もう少し下卑た人格のように描かれている。

*3:米国の低予算ホラー映画『テキサス・チェーンソー ビギニング』のメイキングを逆接的に思い出す。地面に倒れている描写でわざわざ偽物の地面を台の上に作って、上半身をあずけるように撮影していたのだ。 hokke-ookami.hatenablog.com