法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『GODZILLA』

 嵐の夜、日本の大型漁船が巨大な何かに襲われて沈没する。そのすぐ後に米国務省によってパナマへつれてこられた放射線学者は、巨大生物の痕跡を見せられる。そしてその巨大生物は米国で最も繁栄する島、マンハッタンへ近づいていた……


 ローランド・エメリッヒ監督による1998年の米国映画。日本の人気特撮怪獣映画シリーズ『ゴジラ』を、独立した作品としてハリウッド映画の技術力でリメイクした。

 精緻で巨大なミニチュアに3DCGや巨大パペットのゴジラを重ねあわせ、現在に見ても違和感のほとんどない映像を楽しませてくれはする。3DCGにたよるようになった後年の監督作と違って、必要とあればミニチュアを活用することで破壊シーンひとつひとつに見ごたえが生まれている。
 またハリウッドの予算で大きなミニチュアを作っただけでなく、たとえば冒頭の漁船はオーディオコメンタリーによると1mしかないミニチュアなのに、細部まで手抜きせず作りこまれ、荒れた海面の波も細かくて巨大感がある。たぶん日本の艦船特撮で同じくらいの巨大感を出すには5倍くらいのサイズが必要だろう。


 周囲を川と海でかこまれたマンハッタンを中心に、物語の大半で雨が降りつづけている特撮も良い意味で珍しい。雨滴が細かくミニチュアのサイズがばれていない。
 ただし雨でけぶる都市の情感はあまりなく、特に前半は危機が背後をとおりすぎても気づかないギャグや、ゴジラの脅威にさらされながら紙一重で助かるギャグがくりかえされ、せっかくアナログとデジタルが高度に融合した特撮のリアリティが減じている。
 画面奥から脅威が近づいてきて、手前の人物が逃げまどう構図は監督が得意とする描写。ただしこれも前半はゴジラの巨大感と脅威を同時に描写するため効果的なのだが、最後まで同じ構図が工夫なくくりかえされるだけなので飽きてくる。


 人物と怪獣がからむ描写の多さは、特撮の出来が良ければ楽しめはするが限度がある。特に前半は軍用ヘリコプターを追い抜いていたゴジラが後半はタクシーに翻弄されるところが弱体化にしか見えない。せっかく直前に死亡したと判断されるほどの攻撃を受けているのだから、傷ついて速度が落ちているという説明ひとつ入れるだけで説得力があがったと思うのだが。
 主人公まわりだけ都合よく危機を脱する描写は最初から最後までつづき、終盤の等身大の子供ゴジラにおそわれる場面もシチュエーションほどのサスペンスが生まれない。その終盤も脇のキャラクターは意外と殺されていくだけに温度差がはげしい。
 そもそもここでは米国と連絡をとらずフランス特殊部隊が主人公をつれて勝手に対処しようとしており、つまりは登場人物の無意味なプライドでディスコミュニケーションが発生して無駄なリスクが生まれている。フランス特殊部隊はゴジラの情報や生体組織をねらっているという設定でもあれば外国で勝手に行動している意味もわかるのだが。


 そうした主人公まわりの優遇で致命的なのがリポーター志望の女性キャラクターだ。
 昔なじみの主人公と再会して主人公がその場をはなれた時、秘匿すべき記録映像に気づいて盗みだしてしまうまではいい。利己的な愚行でストーリーを進める手法は必ずしも悪いわけではないし、国家が隠している情報を市民につたえて考えさせることはジャーナリストの仕事だ。
 しかし女性リポーターが上司にわたした記録映像が人気リポーターにつかわれたことで、秘匿情報が流れて作戦が阻害される問題と、手柄を横取りされた問題とで、女性リポーターの挫折のドラマが混乱してしまっている。
 映画の描写では女性リポーターは手柄を横取りされたことに傷ついているだけで、横取りされなければ自分自身でその映像を公開しただろうし、情報を流出させた責任に向きあうことができていない。
 同じ要素でドラマを構成するなら、作戦終了後にいちはやく報道するつもりで女性リポーターが資料をあつめていたら半端な映像素材を勝手につかわれてしまったようにするか、女性リポーターが流出した映像をリポートして高揚感にふるえた直後に作戦中止の通達が流れて挫折を強調か、どちらにしても責任の所在を明確化するべきではないだろうか。
 勝手な行動で誰もが損をする失敗をしたのに、子供ゴジラパートで主人公と連絡をとらず助けようとしても成長したとは思えない。反省のドラマになっていないのだ。しかもここで合流まで時間を無駄につかっているのも子供ゴジラパートが中だるみする理由のひとつだ。


 たしかに「ゴジラ」と呼ぶには州兵で対応できるくらいの巨大生物でしかなく、神秘的な災害的な印象が弱いのは残念だったが、娯楽映画としての問題はそこではない。
 アナログとデジタルの長所をくみあわせた怪獣描写は現在の視聴にたえるし、さまざまなトラブルとカタストロフが交互におとずれるので、約2時間20分の長尺でも飽きずに見ることはできる。
 しかし緊張をつくるトラブルのためのトラブルも多いし、やはりこのドラマにこの尺は必要ない。せめて女性リポーターの役割を整理して無駄なギャグを刈りこんで2時間以内にまとめれば、もっと評価できる作品になった気がするのだが……