法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

「名前を出さず引用したコメントを批判するのは自由だけど、名前を出して批判的に引用するなら許可がいる」「いや逆だよ?!」

弁護士の三浦義隆氏*1が、さまざまなツイートを引用して批判した書籍をめぐるインターネットの反応について、下記のようにツイートしていた。


Twitter上、他人の投稿をスクショしてご丁寧にアカウント名まで隠して批判する行為が広く見られる。法的にも道徳的にもこうした行為の方がよほど問題だが、ネット民の相当の割合が信じる「他人の投稿を無断で晒してはいけない」という謎の道徳には合致する面があるのであまり問題視されていない。

たしかにそのような印象はツイッターに限らずある。
下記エントリは引用とは少し違う話だったが、やはり批判すべきことの根拠として具体例を名指しすることが不当であるかのような意見が散見された。
呉座勇一氏と北村紗衣氏の和解金をめぐって、オープンレター以上に大変な事態になるのでは? - 法華狼の日記

オープンレターは強制力のない署名活動にすぎず、明らかな事実関係の誤りもなければ、特定個人へ処分や謝罪を求めているわけでもない。

[B! ネット・ネタ] 呉座勇一氏と北村紗衣氏の和解金をめぐって、オープンレター以上に大変な事態になるのでは? - 法華狼の日記

id:Shiori115 “オープンレター(略)特定個人へ処分や謝罪を求めているわけでもない。” じゃあなんでオープンレターであんなに個人名を出したんですかね???

id:Snail 『じゃあなんでオープンレターであんなに個人名を出したんですかね???』ってところから解決してないよね。あのオープンレター見たら誰もが個人への要求だと思っておかしくないと思うんだよ。

匿名が基本の「2ちゃんねる」や「したらば」等の掲示板、固有性なくコメントが流れていくニコニコ動画がインターネットの世論を形成する時代があった。
それらの文章を無断転載して耳目を集めたまとめブログの存在と、そうした匿名の論評で攻撃された人々の防御反応が、具体名を出すことが不当とかんちがいする一因だろうか。


そもそも引用の対象を批判するか肯定するかは引用の要件と関係がない。引用の拒否は、あくまで引用される側の気持ちであり、要望は自由だが強制することは基本的にできない。
批判の正当性を示すためには、批判対象と比較して第三者が確認できる状態にするべきであるし、批判された側も自身の正当性を示したいなら望むところであったはずだ。


とはいえ、はてなサービスのIDコールのように、言及による通知が大量にとどくと、インターネットの利用に支障をきたす場合がある。
そうした負担そのものが言及内容と別個に攻撃として機能することがあるし、それを拒否するためにブロック機能などをサービス側がそなえたり通知機能を廃止したりという変化もある。
それはたしかに具体名を名指しされることをこばむ正当な理由になりうるだろう。しかし応答を要求して負担をかける問題は、引用の正当性とは異なる問題だ。


他の要因として、新聞報道などの活字メディアで一般人や関係者のコメントが匿名で掲載されることが、原則として匿名で引用するべきという印象を生みだしたのかもしれない。
もちろんそうしたメディアでつかわれているコメントは引用ではなく、インタビューなどで引き出したものだ。その段階で匿名で使用することの許諾をえていると解釈するべきだろう。
そこで以前から気になっているのが、ネットメディアやスポーツ新聞のたぐいが、インターネットの反応として掲示板やツイッターなどから断片的なコメントを匿名で引いていること。インタビューで引いたコメントと記事の字面は大差ないが、よく考えると性質が異なっている。
そうしたコメントをツイッター等で見つけると、使用の許可を求めるリプライなどが見つからないことが多い。DMなどで見えないところで許諾をえているならいいが、そうでないなら著作権の問題になりかねない気がする。
よくSNSで話題になった映像に大手メディアが使用の許可を求めるリプライをして、取材の手間を省力して市民の努力を商売につかっていると揶揄されたりもするが、少なくとも許諾をえずに使用するような問題はない。

*1:はてなアカウントはid:miurayoshitaka