法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

オープンレター「女性差別的な文化を脱するために」をめぐる裁判で、オープンレターを発表した側の勝利で和解したという発表

 一般的に和解は双方が満足もしくは許容できるかたちでおこなわれるが、一方が勝利したと発表できる和解ももちろん存在する。弁護士の渡辺輝人氏*1もツイートで指摘している。


勝利和解は幾らでも例はあり、私も、裁判所から「判決なら勝訴」と言われた事例で何件も勝利和解しています。その方が柔軟な解決をできるからです。本件もきめ細かく和解をしておりその例ですね。全く問題ありませんよ。


今回の和解は、呉座氏が名誉毀損だと訴えたこの反訴請求にかかるオープンレターの内容について、呉座氏自らが「違法だ」という主張を撤回して和解を申し出たものなので、OL側の勝利といって良い内容だろう。

 双方の発表を見ても、和解の提案は呉座勇一氏からおこなわれたらしいし、「女性差別的な文化を脱するために」の文章を修正する必要もないようだ。
オープンレター訴訟、勝利和解のお知らせ|弁護士神原元

「オープンレタ ー」は、反訴原告の投稿及び「いいね」を押した行為について、「それ(歴史修正主義)に同調するかのような振る舞いをしていた」と表現し、その行動の持つ社会的意味や問題性について論評したものであって、反訴原告を 「歴史修正主義者」であると断定したものではないこと 、反訴原告が「歴史修正主義に 同調する振る舞いをした」とまで断定したものでもないことを確認する。

オープンレターの「それ(歴史修正主義)に同調するかのような振る舞いをしていた」との表現について、呉座氏の投稿及び「いいね」の行為の持つ社会的意味や問題性についての論評であることが確認された。これも、訴訟においてオープンレター側が主張してきたとおりである。

オープンレター訴訟の和解成立のお知らせ - 呉座勇一のブログ

歴史修正主義」は、一般的に、「政治的意図に基づき、根拠なく歴史的事実を書き替えようとする行為」を指しており、多数の研究者から「歴史修正主義者」であると名指しで糾弾されることは、歴史学者にとって死刑宣告を意味します。オープンレターにより、私が歴史修正主義者である、すなわち歴史学者失格であるとの印象が世間に流布した結果、私の学者としての活動には大きな制約がかかっていました。私が学者として再起するには、オープンレターが私の学者としての名誉を毀損したと訴訟提起するほかありませんでした。

 もし「女性差別的な文化を脱するために」に問題があったのではなく、その誤った解釈がひろまっていたというなら、呉座氏の訴訟は誤った解釈をおこなった相手にしぼるべきだったろう。


 いずれにしても、呉座氏自身が歴史修正主義者であったかどうかはともかく、同調するようなツイートをおこなっていたという評価は、それをとりさげないかたちで和解がおこなわれた。
 事実としてアカウントに鍵をかける以前にそうしたツイートを見かけて、エントリで批判的に引用したこともある。弁護士の高橋雄一郎氏を批判するエントリで知られていないひとつを紹介した。
弁護士の高橋雄一郎氏が呉座勇一氏を擁護しようとして、まともに文章を読めなくなっていた - 法華狼の日記

私は上記で指摘された他にひとつ、従軍慰安婦問題にまつわる呉座氏のツイートを知っている。それは元朝日記者の植村隆氏が「捏造」という評価に反論したことへの、否定的な論評だった。

植村氏の反論は立場上「他紙も書いていたのになんで俺だけ」と言わざるを得ないから分かりにくいのであって、「上の指示で書いたのになんで俺だけ」というホンネに翻訳すると、とても明快になる。

攻撃的な報道により教授職の内定をとりけされ、さらに脅迫などもあって非常勤講師の立場も失わされた植村氏に、当時の呉座氏は陰謀論をもって攻撃に同調していたのだ。

 ちなみに呉座氏自身は、裁判で提示された自身のツイートは公開アカウント時代のものであり、鍵をかけたアカウント時代を論評した「女性差別的な文化を脱するために」の対象にはならないと主張していた。
反訴の提起について - 呉座勇一のブログ

上記投稿は公開アカウント時代のもので、「非公開アカウントにおいて」というオープンレターの記載の根拠にはなり得ません。

そうすると、オープンレターの「歴史修正主義」うんぬんの根拠は、私がメモ代わりに「いいね」した他人のツイートしかないのです。

 上記の主張は今回の和解を報告するエントリでも踏襲している。

オープンレターは、私の投稿の何を指して「歴史修正主義」云々と指摘しているのかが全く不明でしたが、法的措置を通して、それが数件の「いいね」(私が備忘のためにメモ的に押したもの)でしかないことが明らかになっています。

 しかし過去におこなっていた発言から「いいね」の意図を解釈する理屈は、まだ係争中とはいえ、自民党議員の杉田水脈氏が名誉棄損をおこなったとする裁判の二審判決でも根拠のひとつとなった。
伊藤詩織さんが杉田水脈議員に控訴審で逆転勝訴 | 週刊金曜日オンライン

 高裁判決では、18年3月に杉田議員がインターネット番組に出演して伊藤さんを揶揄した事実や、同年6月に放送されたイギリス・BBCの番組内で「彼女の場合は明らかに女としても落ち度がありますよね」などと発言したことなどを挙げ、侮辱的な内容のツイートに好意的・肯定的な感情を示すためや、積極的に伊藤さんの名誉感情を害する意図の下に「いいね」行為を行なったと認めた。

 また、科学者が自身で疑似科学を発信しなくても、くりかえし疑似科学に同調するかのようなふるまいをしていたなら、それなりの責任はあるだろう。さらに公開アカウントで主張していたことを認めるなら、「女性差別的な文化を脱するために」とは独立して問題視されてもしかたあるまい。和解を速報する今回は無理でも、いずれ釈明してほしい。この和解によって歴史修正主義者に同調的な研究者という評価が確定してもいいと考えているならばしかたがないが。
 逆にいえば、呉座氏の釈明を求めなかったことから、「女性差別的な文化を脱するために」は抑制された筆致だったと評価できるかもしれない。そもそも普通に「女性差別的な文化を脱するために」を読めば、コミュニケーションで集団の問題がつくられていくことが指摘されていた。つまり全体としても部分としても一個人の責任を追及する内容ではなかった。逆に一個人の問題が解消すればとりさげるような内容でもなかった。

*1:はてなアカウントはid:nabeteru1Q78