法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『未来のミライ』

幼い「くんちゃん」に、新しい妹ができるという。しかし出産を終えた母はすぐ職場に戻り、なれない父が自宅で仕事をしながら家事を担当することに。
そうして両親の愛情を欲するようになった「くんちゃん」の周囲に、ふたりの愛を失った先輩という謎の男や、不思議な年長の少女があらわれて……


2018年に公開された、細田守監督が原作と脚本もつとめる最新作。
「未来のミライ」公式サイト
金曜ロードSHOW!で本編ノーカット放映されたバージョンを視聴。
【放送日変更のお知らせ】令和元年のこの夏!スタジオ地図が贈る細田守監督作品「未来のミライ」「サマーウォーズ」 2週連続放送!|金曜ロードシネマクラブ|日本テレビ

7月12日は、細田守監督最新作『未来のミライ』を本編ノーカットで地上波初放送。
米国アカデミー賞長編アニメーション映画賞ノミネートをはじめ、カンヌ国際映画祭・監督週間に選出、ゴールデン・グローブ賞アニメーション映画賞ノミネート、アニー賞長編インディペンデント作品賞を受賞するなど世界中の映画賞や映画祭で高い評価を得た作品です。

あまり作画の見せ場はなくて、子供たちが暴れまわりながら解放感よりも鬱屈が深まる場面が、最もアニメーションとして見映えするくらい。難しい自転車の作画なども破綻なく地味にすごいが、地味すぎて面白味に欠ける。物語の波が一定ということもあり、映像作品として平坦な印象。
しかし来週に初めて本編ノーカット放送される『サマーウォーズ』と比べて低評価されているようだが、ずっとツッコミどころのない作品だったとは思う。長編映画だが細田初期短編のように不要な情報をそぎおとし、フレームの外に世界が広がっていることを逆説的に感じさせる。


とはいえ『サマーウォーズ』が『劇場版デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』と比べて低評価せざるをえなかったことと同じくらい、『未来のミライ』も『劇場版デジモンアドベンチャー』と比べると稚拙な部分が目についてしまう。

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両親から軽くネグレクトされている幼い兄妹の生活に、奇妙な闖入者が来ることで始まるという、同じような導入の物語。しかし、まだ言葉をしゃべれない妹と背伸びしている兄というダブル主人公を「くんちゃん」ひとりに集約してしまったため、普段は愛情を欲して暴れるばかりなのに難しい言葉で会話できるという知性の変化が悪目立ちしている。見ていれば「くんちゃん」の頭が良くなる法則性が感じられてくるのだが、導入でいきなり知性が乱高下されるとつまづいてしまう。
比べると、いっさい言葉をつかわず他者とコミュニケーションをつづける『劇場版デジモンアドベンチャー』の妹が、どれほど映像作品として冒険的で、キャラクターとして魅力的なことか。兄と妹がそれぞれコミュニケーションのありかたを変化させていくプロットもわかりやすい。頭が良くなった状態の「くんちゃん」は自身の問題がどこにあるか言葉ではわかっているため、それをクライマックスで語るだけでは、変化によるカタルシスが弱い。
大人の視点をすべて排除した『劇場版デジモンアドベンチャー』と比べて、両親の視点を客観として配置した『未来のミライ』では、どの視点で物語を追えばいいのかもわかりづらい。視野が半端に広いから、アカシックレコード的な世界観を持ちながら、描かれる関係性のせまさが最終的にばれてしまう。


また、細田守監督は作品ごとの批判にそれなりに耳をかたむけてきたがゆえ、迷走しながらドツボにはまってしまったのではないか、ということも感じた。
徹底的に若い男女の関係性だけに視点をしぼった『時をかける少女』では、ヒロインの迷走によりイジメがひどくなってしまった被害者に、きちんとフォローがないまま終わった。
そこで大家族集団の全体を映した『サマーウォーズ』だが、個々をフォローするため個別の描写は短いものとなり、全員の活躍を描くにおいて意図していないであろう男女の性役割まで強調してしまった。
シングルマザーの子育てを描いた『おおかみこどもの雨と雪』は、求められる母親像の破綻を描きつつも男女の性役割を壊すにはいたらず、妊娠させた男は役割りから物語から逃げただけ。
そして成人男性が子供の父親ぶる『バケモノの子』という最も気楽な子育てをへて、ついに夫が最も難しい育児に向きあって妻の苦労を追体験する『未来のミライ』にいたったわけだ。
おかげで過去作で批判されたような性別役割観は目立たないが、しかし批判されて修正しただけでは観客の予想を超えた夢を……それが悪夢でも……見せることはできない。タイトルに反して「未来」を感じさせるものはそこにない。ただ観察された現在の苦しみがあるだけ。
かといって苦しみをつきつめて観客につきつけることもできず、せっかく映像として魅力的な未来の東京駅へ舞台を移しながら、きわめて説明的な台詞で「くんちゃん」の課題と正答を教えて、やはり「未来」による説明的な台詞でアカシックレコードの設定を語って、平凡な娯楽へと回帰して終わった。
育児の困難さや、親子は別人という人間観をむきだしにして終わった『おおかみこどもの雨と雪』のほうが、ずっと誠実な作品ではあった。それが娯楽として良いか悪いかは別として。