法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

キズナアイを聞き役にしたNHKの「ノーベル賞まるわかり授業」というコンテンツに、つらい気持ちをおぼえている

NHKノーベル賞特設サイトの一部として、バーチャルYouTuberの嚆矢となったキャラクター「キズナアイ」に対して各分野の専門家が教えていくという構成のコンテンツがある。
ノーベル医学・生理学賞に注目!|まるわかりノーベル賞2018|NHK NEWS WEB
このコンテンツに対して様々な観点からの賛否があることは知っていたが、「キズナアイ」が相槌役という評価が事実ではないとされていることには異をとなえざるをえない。
ハバーマスの「市民的公共性」はそのままでは現代にそぐわないし批判の多い取り扱い注意の概念だよというお話 - この夜が明けるまであと百万の祈り

キズナアイは相づちしか打っていないなどの事実に基づかない記述を持ってNHKを批判してしまいました。


実際にキズナアイの反応を見ていけば、相槌を打つことしかしていないと評さざるをえない。
肯定や感嘆だけでなく質問や解答もしていることを反証とする意見もあるようだが、それは相槌ではないことの充分条件ではない。
相槌を打つ(アイヅチヲウツ)とは - コトバンク

相手の話に合わせて受け答えの言葉をはさんだり、うなずいたりする。

会話の流れで主導権をにぎったり、専門家の主張に異をとなえる局面があったりしなければ、キズナアイが辞書的な意味で相槌を打っていることに変わりはない。
たとえ質問をするだけでも、多くの質問をぶつけて流れを誘導したり、専門家の意表をつく質問をすれば、解説の主導権をにぎれることもある。しかしキズナアイの質問はそうではない*1

辻󠄀:まずは、こちら。日本人は昔、1万年ぐらい前は大体30歳くらいまで生きていました。江戸時代になると45歳くらいまで生きています。今は大体80歳くらいまで生きています。日本人は、だいたい100年前と比べて寿命が2倍くらいに延びてるんですね。

キズナアイ:2倍!すごいですね。でも、そんなに延びたってことは、何かちゃんとした理由があるってことですよね。

辻󠄀:そのとおりです。すごくいい質問ですね。上がった理由として一番は、すごいお薬が出て、すごい医療機器が出て、それで治らない病気が治るようになりましたというところです。そういった医療の発展につながるような研究をした人に対して、ノーベル生理学・医学賞というものが与えられるんです。

上記で専門家が「すごくいい質問ですね」と評しているが、キズナアイの発言と「そのとおりです。すごくいい質問ですね」という部分だけを削っても、そのまま流れは成立する。
AI設定を活用してセキュリティーソフトで免疫をたとえるという、比喩に比喩を重ねた局面はおもしろいのだが、解説としては迂遠になるので、専門家は話を戻してしまう。

キズナアイ:私で言うと、コンピューターウイルスをこうやっつけるセキュリティー的な感じですかね。

辻󠄀:うん、まあそういったところかな。アイちゃんにはたぶんネットワークを通じて24時間いろんなウイルスが襲ってきています。ただ、おそらくそのアイちゃんが気づかないうちに、いつの間にかセキュリティーソフトがやっつけてます、というのと同じことがまさに人間でもあっていて。人間でも、免疫細胞がいつ、どこで、何をやっつけたかは、誰もあんまり気づいていないけれども、見えないところでいつも働いていると。それが免疫細胞というものになります。

しかも、こうした質問ですら反応として具体的な部類であり、キズナアイの台詞の多くは感嘆や鸚鵡返しにとどまっている。


おそらく専門家の解説が先につくられ、後からキズナアイの反応を足して前後を調節するかたちで台本が完成したのだろう。
もしキズナアイというキャラクター自身のコンテンツとして台本が制作されていれば、耳目をひくために少女の表象を利用した企画性が浮かびあがらず*2、また違った内容と評価が生まれたかもしれない。
たとえばキズナアイ自身が今年のノーベル賞について知りたいという強固なモチベーションが設定されていれば、専門家に質問するだけの立場であっても、相槌を打つだけではない主体性が生まれるだろう。
ここで思い出されるのが、『大長編ドラえもん のび太の魔界大冒険』で、友人が語る魔法の歴史を主人公が聞く場面だ。

長い解説を聞く主人公は、魔法の実在を望んでいて、それが物語を動かすモチベーションとなっている。だから質問そのものは短い「どうして魔法だけすたれちゃったの?」の一言でも、望んでいる情報を引き出すそうとする主導権を失わない。そして魔法の実在が否定されるという挫折から、次の展開へとつながっていく。
同じように、キズナアイも知りたいモチベーションが最初に設定されていれば台本が違ったのではないか。AIとして他者たる人類の免疫を、AIたる自身に直結する量子の科学を、YouTuberたる立場を成立させた電池技術を、それぞれ知りたいと願って、まず自分なりに情報を集めようとして、専門家へ質問をぶつけて答えを引き出す構成であれば……解説コンテンツとしてキズナアイの配役に必然性が生まれつつ、キズナアイ自身のコンテンツとしても娯楽性が増したのではないか。
もちろん、解説とそれを聞くというかたちだけでは、よく稚拙な学習漫画が授業風景を漫画化してしまうような問題は解消できない。そこでキズナアイのCGモデルが、実際に免疫機構や量子世界のCGモデルに入りこんで観察したりすれば、さらにバーチャルなキャラクターならではの魅力が生まれるだろう。


そしてここまで考えると、今年のノーベル賞の解説というコンテンツの性質がネックだったことも想像できる。注目すべき分野で解説できる専門家はNHKが集められるとして、それをAIの視点から学ぶ台本で再構成する余裕は、人材的にも時間的にも難しかったのだろう。
実のところ、あまりバーチャルYouTuberに興味がない私がキズナアイで印象に残っている情報は、BS日テレ冠番組をもちながら、「視聴者をバカにしている」ようなコンテンツしかつくれずスポンサーが降板したという半年前の報道なのだ。
キズナアイのBS日テレ番組、スポンサーが「視聴者をバカにしている」と降板 : J-CASTニュース
NHKのコンテンツへの否定意見に対し、否定意見への反論はよく見るし、キズナアイというキャラクターを賞賛する意見も見かける。しかしNHKのコンテンツそのものを正面から賞賛する意見は見かけない。それがつらい。

*1:引用時、話者を示すように「キズナアイ:」を補った。以降の引用も同じ。

*2:話題がそれるので簡単にとどめるが、キズナアイというコンテンツ自体を肯定しても、キズナアイを利用したNHKのコンテンツを肯定したことにはならない。逆に、キズナアイというコンテンツそのものをNHKが紹介する記事ならば、情報を紹介するためにキズナアイを利用したという構図にはならなかったろう。