法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『HUGっと!プリキュア』第19話 ワクワク!憧れのランウェイデビュー!?

愛崎とルールーがファッションモデルに選ばれた。しかし同じイベントで大トリをつとめる若宮に、愛崎兄が嫌悪感をむける……


このエピソードは、若宮アンリという少年が、「お姫様」という立場を主人公に肯定されたことで評判になった。
プリキュアが「男の子だってお姫様になれる!」と叫んだ。はぐプリ19話が伝えた、すごいこと | ハフポスト
もちろんジェンダー越境の肯定は、シリーズ旧作でも何度かあった。普段が男装なキュアサンシャインもいれば、普段も変身後もユニセックスなキュアショコラもいた。
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敵幹部なのに主人公側の教師から化粧を教えられて自己肯定できた、シャットというキャラクターも印象深い。アニメ一般の美しさから外れたデザインで、ルッキズムも回避していた。
『Go!プリンセスプリキュア』第33話 教えてシャムール♪願い叶える幸せレッスン! - 法華狼の日記
だから、若宮は「女神」と評される美少年だから女装が肯定されただけという指摘も、懸念としてはわかる。しかし、そもそも物語のポイントが別にあることに留意する必要がある。


まず、シャットほど規格外ではないが、若宮は男性声優が低めの声で演じていることがポイントのひとつだ。
堂々と男性を自認して、好みとして女性的ファッションを選んだと表明する。やはり既存のジェンダーの枠組みそのものから外れている。
LGBTを狭義の同性愛者と両性愛者と性転換者のみととらえて、性役割の固定に利用する、そんな一部の保守派政治家とは異なるわけだ。
「性的少数者の理解増へ、法律つくるべき」自民・稲田氏:朝日新聞デジタル

ジェンダー・フリー」とは違って人権の問題と捉え、しっかり法律にしていくということを党内でやっていきたい。


さらに若宮の「お姫様」という自認は、女性という役割にとどまるものではない。愛崎兄から生まれた怪物にとらわれ、プリキュアに救われる立場になった場面での自嘲だ。
だから、そこでプリキュアが若宮を肯定することは、ジェンダー越境の肯定とは異なる文脈もある。救われること、弱者であることの肯定だ。
そして若宮は怪物の拘束をはなれても、怪物を抱きしめるように語りかける。若宮がありのままの自身を肯定するように、愛崎兄も自由になって良いのだと。プリキュアの「男の子だってお姫様になれる!」は戦闘の流れで発した台詞であり、少年同士の対等な肯定こそがドラマのクライマックスに位置づけられている。
ここで、今作のモチーフである応援が、また異なる意味をもった。がんばれと後押しする応援だけでなく、がんばらなくてもいいと赦す応援もあるのだと。無責任な応援ばかりでなく、自分のことのように向きあう応援もあるのだと。
過去回でも応援のさまざまな側面を見せてきたが*1、無力でも気高く応援できることはあって、それが相手の救いになることで、応援した側をも肯定された。


説明が前後するが、今回のジェンダー越境を演出した若宮とデザイナーが、登場時にプリキュアと対立したこともポイントだろう。
『HUGっと!プリキュア』第8話 ほまれ脱退!?スケート王子が急接近! - 法華狼の日記

明らかにプリキュア活動と対立するキャラクターで、輝木を自由にさせるよう野乃たちにうったえながら、自分自身は輝木の選択を決めつけるのに、さほどナルシスティックな嫌味がない。

『HUGっと!プリキュア』第14話 はぎゅ〜!赤ちゃんスマイルめいっぱい! - 法華狼の日記

クレーマーが女性デザイナーだったり、保育士が全員女性だったりといった男女比の偏りは気になるが、女児視聴者に向けた物語と思うべきか。

若宮とデザイナーは怪物を生みだすことに利用され、プリキュアによって浄化されたが、根本の人格が変わったわけではない。だからデザイナーは重ねて利用された。
『HUGっと!プリキュア』第18話 でこぼこコンビ!心のメロディ! - 法華狼の日記

今回は仕事の悩みで怪物化させられる純然たる被害者であり、さらに次回も登場して重要な役割を果たすらしい。ここまでくると初登場時の違和感も解消される。

今作で怪物をつくる「トゲパワワ」は負の感情だが、シリーズの同種設定と違って根絶はされない。それもまた、不完全さをふくめて個人を肯定するメッセージとなる。


そして応援だけでも意義があるというメッセージは、ここ数話にわたって無力感をいだいてきたふたり、愛崎とルールーを肯定することにつながる。
もともと若宮と対立する愛崎兄は、初登場から今回まで妹をジェンダー規範にしたがわせようとしていた。ゆえに愛崎兄への批判は、ギターで自由をシャウトする少女への応援ともなる。
脚本を坪田文シリーズ構成が担当しているように、今回は一貫性をもった主軸のドラマとしても成立している。けして一過性の特異なゲストだけが救われるドラマではない。


今回は、女児向け先行作品『しゅごキャラ!』や『プリパラ!』がジェンダー越境を力強さで支えていたことに対して、弱くても主人公でなくても枠組みを越えられるという固有のメッセージが感じられた。
角銅博之演出に青山充作画監督*2で、けっこう映像面は流している感もあったが、おおむね文句はない。