法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『ハーモニー』

監察官という立場で嗜好品の違法な取引きしていたトァンは、謹慎のため戦地から日本へ送還される。そこで女子高生時代の友人キアンに再会。
ふたりはかつて、健康を押しつける社会から逃避するため、心酔していたミァハとともに自殺をこころみて、ふたりだけ生還した仲間だった。


伊藤計劃による長編SF小説を、ノイタミナのProject Itoh企画において2015年にアニメ映画化。なかむらたかし監督とマイケル・アリアス監督がSTUDIO4℃で制作した。

原作は以前に読んだが、もっとインナースペースSFらしさを期待していたため、やや面食らったおぼえがある。それでもベタな管理社会への反乱に見せてのどんでん返しには感心した。
『ハーモニー』伊藤計劃著 - 法華狼の日記
そしてアニメ版だが、原作既読者から不評らしいと聞いていたが、これはこれで特に悪い作品とは思わなかった。設定説明に追われることなく、約2時間に要点をまとめている。


最初にひとつ、観賞前からもっていた違和感をあげると、redjuiceによるキャラクター原案がメインスタッフの方向性に合致していない。
なかむらたかし監督ならではのアニメとしてもシンプルな絵柄と*1、近年のイラストレイターらしい細い線を重ねて装飾の多い絵柄は、もともと相性がいいと思えなかった。
映像で見れば絵柄への違和感は少なくなったが、やはりもっとシンプルな人形のような絵柄で、無機的にも有機的にもアニメートできる技術を発揮してこそ、世界観を支えられたように思える。なかむらたかし監督が全ての原画を描いた短編映画のように。
「寫眞館(しゃしんかん)」公式サイト
それにキービジュアルにもあるトァンの、肌をあちこちで露出したファッションが疑問。戦地にいる周囲の同僚とも露出度が異なる。もっと健康社会から背を向けて不健康な生活にのめりこんでいることを視覚化するため、いかにも軍服らしい薄汚れたファッションにしてほしい。トァンの服装は日本に住むキアンにわりふっても良かった。
ただ、さらに装飾性の強いミァハの服装は、着ている状況にさほど違和感なく、説明している過去を想起させる役割もあるので、悪くはなかった。


しかして他の映像は、特筆するような新しさこそ感じなかったものの、全体として文句はない。
オリジナル作品『パルムの樹』ほどではないが、それなり以上に画面は端正。監督ひとりでコンテを切り、レイアウトにも手を入れているだけあって、構図やカメラワークに隙がない。
主に力を入れているのは美術設定だが、散発的に作画アニメとしても見どころがある。冒頭の無人機撃墜は煙を引く破片の奥行きがいい。手描きのモブシーンは俯瞰のロングショットでは動かないが、バストショットくらいになるとしっかり動かしている。
冒頭から簡素な作画やCGに徹しておいて、キアンが流血する場面で初めて生々しさを表現したのも、コンセプトをしぼるべき映画としては悪くない判断。ここで落ちた血でのみ3DCGが質感をもち、手描き作画で飛び散る血も細かく表現されている。
一方、キアン以外の自殺シーンは無機的で淡々とした劇中映像で表現されている。その主観視点でさまざまな凶器が立体的に正確な作画で動くだけでも珍しい。記録映像の静けさは、トァンの主観においてキアンの自殺よりも重要ではないことの演出にもなっていた。
最終盤でミァハが姿をあらわした時も、幽霊のように移動する演出や、壁に向かって表情を見せない場面などは、説明的な原作よりも情景として印象的だった。


物語については、最終盤のキアンの存在感が原作よりも後退しているのは残念だった。
原作では最後の最後に不在のキアンが語られるからこそ印象が強まったわけで、途中でキアンのことをトァンが何度も回想する映画版は、ミァハとトァンふたりの関係を終着点にしたということなのだろう。そこにいたる過程として、ミァハに心酔するトァンたちの幼稚さをむきだしにしたことが原作読者から不評なのもわからないではない。
しかし実のところ、原作の大半は評判ほど緻密で斬新なSF小説とは思えず、トアンたちの行動も現実の「前世少女」などの誇張にすぎないと感じていた。
それに原作で他に印象的だった管理社会をめぐるミァハの動機は、きちんとミスディレクションもふくめて映像化されていたので、SFとしても文句はない。
映像化されていない原作の設定は、絵にならない説明的な情報か、それほど斬新でもない描写ばかり。たとえば「大災禍」という設定はほとんど語られないが、健康管理社会という設定そのものはアニメでも古典的だし、わざわざ過去の原因にすぎない設定を詳説する必要はない。ジャングルジムが動く設定くらいは、自殺が失敗した事例の一幕に組みこんでも良かったとも思うが。

*1:キャラクターデザインと総作画監督STUDIO4℃の田中孝弘。