法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

森友学園問題の中心にいる籠池泰典氏へ、空気を読まずに私個人が望んでいること

国会証人喚問や外国特派員記者会見が注目されているが、それとは別個にずっと引っかかっていることがひとつある。
全ての疑惑が開示されなくても、与野党や官僚の問題があぶりだされなくても、籠池氏が個人としてできることはある。


森友学園関係では、幼稚園や小学校で排外主義的な主張がくりかえされ、虐待的な教育がおこなわれていたこともわかっている。
国有地取得問題でゆれている瑞穂の國記念小學院の公式サイトを見て、知識つめこみ式の教育機関としてすら期待できないことを感じる - 法華狼の日記

「日本人のDNA」という表現も、すでに比喩として定着しているとはいえ、ナチスドイツ等の優生主義を連想させてしまう。いや、同じ文章で「世界で一番混じりっけのない純粋な民族」という純血主義を堂々と語っているところから見て、比喩ですらないのかもしれない。

そして児童の心情として「日本に生まれてきてよかった」と想定していることが、決定的におかしい。百歩ゆずって外国人を学校から除外したいのだとしても、日本とは異なる国や地域で産まれた日本人の存在が想定できないのだろうか。

教育勅語賛美な幼稚園が、御都合主義的に排外主義的な陰謀論を展開していた - 法華狼の日記

「極めて少数派」を排除しようとする発想自体が現代の教育機関としてどうなのか。

それに、塚本幼稚園が日本の医療を忌避させようとして、「K国・C国人等」がきちんと子供に医療を受けさせようとしていたなら、ひとりの人間としては「K国・C国人等」を素直に賞賛したくなる。

自然の力のみに子供の病気をまかせようとする幼稚園 - 法華狼の日記

ウイルスが生物と物質の中間的な存在という中途半端な知識から異様な主張を展開させていく。

「飲まないで死んだら本望」が医療忌避のための誇張表現ではなく、本心からの発言と解釈せざるをえない。

しかし籠池氏は「尻尾切り」にあい、信頼していた人々に掌をかえされている現在、民族や思想というくくりというだけで信頼がおけないことは骨身にしみて理解したはず。教育勅語に代表される愛国的な言葉が、無法者の隠れ蓑になりうることを実感できているはず。
ここで籠池氏は、過去に表明した排外主義を反省し、虐待や攻撃の矛先を向けた園児や保護者に謝罪することは、何の束縛もなくできるはずだ。人間はひとりひとりが異なる思想をもっていて、国や人種という基準だけで善悪や敵味方を区別などできないからこそ、反省する機会は常にある。