法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

教育勅語賛美な幼稚園が、御都合主義的に排外主義的な陰謀論を展開していた

教育勅語唱和や国歌斉唱に力をいれ、安倍晋三首相夫人に応援されていることで知られる塚本幼稚園。公式サイト等で反医療的な主張もしていた。
自然の力のみに子供の病気をまかせようとする幼稚園 - 法華狼の日記
しかしなぜか匿名で告発していたブログは消え、2016年11月の公式サイトリニューアルで反医療ページも消去されている。
そして公式サイトのトップページから「インターネット上での当園に対する誹謗・中傷記事について」というPDFファイルがリンクされた。
http://www.tukamotoyouchien.ed.jp/wp-content/themes/tukamoto/pdf/attention2.pdf

専門機関による調査の結果、投稿者は、巧妙に潜り込んだK国・C国人等の元不良保護者であることがわかりました。


今まで黙っておりましたが、看過することができません。


現在、法的措置を含めた厳重な対応を進めておりますが、当園は、日本精神をとりもどすためにも、日本に在住する極めて少数派のK国・C国等の人たちのこういった行為に対して、断固として立ち向かう所存です。

ばくぜんと「専門機関」とだけ書かれても国籍を透視したことの説得力がまったくないし、それが事実だとして「極めて少数派」を排除しようとする発想自体が現代の教育機関としてどうなのか。
それに、塚本幼稚園が日本の医療を忌避させようとして、「K国・C国人等」がきちんと子供に医療を受けさせようとしていたなら、ひとりの人間としては「K国・C国人等」を素直に賞賛したくなる。
さらに、はてなブックマーク*1を見ると、id:Kil氏がPDFファイルの「2」を削ると別ファイルが出てくることを示唆していた。たしかに塚本幼稚園のドメインで、ほぼ同じ内容のPDFファイルが出てくる。
http://www.tukamotoyouchien.ed.jp/wp-content/themes/tukamoto/pdf/attention.pdf

専門機関による調査の結果、投稿者は、巧妙に潜り込んだ韓国・中華人民共和国人等の元不良保護者であることがわかりました。

中途半端なイニシャル表記をつかわず、はっきり「韓国・中華人民共和国人等」と記載している。このファイルを残している意味がわからないし、逆に中途半端に伏字にしたファイルを公式にリンクしている意味もわからない。


ちなみに、園長は昨年に映画『杉原千畝 スギハラチウネ』を見たという。その感想を公式サイトで書いているのだが、予想通りに御都合主義的な内容だ。
http://www.tukamotoyouchien.ed.jp/h27-3rd-sem/

本国が対応を間違わぬよう動いていたという物語である。(この時、日本政府は友邦ドイツの抗議をものともせず、人種差別の極致の被害者であるユダヤ人を迎え入れ、日本を通過して最後に日本の支配地であった香港、上海に到着した。)

難民を救ったとして日本国を賞揚する文脈で、侵略国であったことを示す「支配地」という表現を使ってしまう意味がよくわからない。
そもそも杉原千畝のビザで移動できたユダヤ人たちは日本の勢力範囲だけに逃げたわけではなく、米国やオーストラリアにも多くが移動している。
むしろ個人の判断としてビザを出した杉原千畝と比べ、受けいれた難民の20万人以上という数から考えても、国家としては米国が賞揚されるべきだろう。

杉原千畝氏は優れたものであったため、戦後、国家観と国益観を抜かれ普通の役所になってしまった外務省からは邪魔者となり、はじめからそういう人はいなかったことにして抹消されていました。

杉原千畝に対する日本という国家の仕打ちを、まさか戦後社会への批判という文脈に逆用するとは、恥知らずにもほどがある。

ユダヤ人の人々が我国に味方してくれ又今後も味方してくれるのも、杉原千畝氏の行動とそのバックグラウンドに日本国の八紘一宇の精神があったからです。

しかし杉原千畝が「日本のシンドラー」と呼ばれるように、国家によって犠牲になろうとする人々を救うことは、日本人だけが実行できたことではない。
むしろ杉原千畝記念館では「正義の外交官たち」というコンテンツをつくり、当時にユダヤ人を救った代表的な外交官としてヤン・ズヴァルテンディクや何鳳山、チャールズ・カール・ルッツらを紹介している。
http://sugihara-museum.jp/about/

世界には、千畝以外にもユダヤ人ではないのに、危険を冒してまで見返りを受けずにユダヤ人を救った人々がいました。
彼らは国籍を超え、同じ人間として、勇気と正義を貫いたのです。

杉原千畝が賞賛されるべきことをしたからといって、ただ日本人というだけで同じように賞賛を受けられるわけでは当然ない。
いわんや、自身に対する批判を不良外国人という属性に求めるような人間が、自己を投影するように利用していいはずがない。