少女と呼ばれるべき年齢層の被害者もいたことくらい、なぜ日本政府もはっきり回答しないのだろうか。
【釜山・慰安婦像設置】慰安婦像は少女像にあらず 菅義偉官房長官「問題視しているのは慰安婦像」 - 産経ニュース
「少女」として描くことで、旧日本軍の残虐性を強調する狙いがある。このため、日本政府が「少女像」と呼ぶのは不適切との指摘が出ていた。
米軍が昭和19(1944)年、ビルマ(現ミャンマー)で捕らえた朝鮮人慰安婦から聞き取り調査して作成した報告書によると、調査対象となった女性20人の平均年齢は23歳で、最年少は19歳が1人いるだけだった。ただ、韓国側はこうした事実関係を無視し、慰安婦の「性奴隷説」や「20万人説」を国際社会で流布し続けてきた。
まず、少女と呼ぶべき年齢層には幅があるが、一般的には18歳から16歳くらいが上限と思われる。大辞泉と大辞林から引用しよう。
少女(ショウジョ)とは - コトバンク
年少の女子。ふつう7歳前後から18歳前後までの、成年に達しない女子をさす。
年若い女の子。普通、七、八歳から一五、六歳くらいまで。
もちろん辞書の説明は定義ではないので、文脈によってはさらに上下することもある。
次に、産経新聞があげているのは捕虜尋問報告だと思われるが、その平均年齢などは慰安所から解放された時点のものだ。
もちろん募集時の年齢は数年さかのぼるわけで、それを考慮すると過半数が未成年となる。
慰安婦とは―太平洋戦争と慰安所の拡大 慰安婦問題とアジア女性基金
女性たちの述べたところでは、募集時の年齢は17歳1名、18歳3名、19歳7名、20歳が1名、23歳以上が8名、つまり20人中の12名が21歳未満です。
日本側に残された文書資料のなかで、性病検査を受けた時点で16歳が3人いたというものもある。
慰安婦とは―女性たちを集める 慰安婦問題とアジア女性基金
上限を16歳と考える立場においても、少女と呼ばれるべき被害者が複数いたことは一次資料で確認できるわけだ。
この資料説明をしているサイトが日本政府ドメインでない現在を、心底から残念に思っている。
なお、被害の表象として少女をもちいることには従軍慰安婦問題にかぎらず議論や批判がある。
http://gender.sblo.jp/
広島では1950年代初めから、ヒロシマの表象として「記憶の女性化」、「平和の母性化」が際立ってきた。「原爆乙女」「嵐の中の母子像」「サダコ」「夢千代日記」などがその一例として挙げられるのではないか。
それでも、日本政府が把握しておくべき研究の蓄積を無視することは、とうてい擁護することができまい。