法華狼の日記

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『NHKスペシャル』で宮崎駿監督が川上量生会長のプレゼンテーションを叱った件について

単純な問題として、表現としての力も技術としての新しさも、番組でそれまでに提示された実験映像にまったく届いていなかった。
NHKスペシャル | 終わらない人 宮﨑駿
宮崎監督といえば、演出家としても、ひとりの原画マンとしても、世界トップクラスのアニメーター。その試行錯誤の結果として生まれた、魚のような何かがたゆたう不思議な1シーン。その鉛筆によって描き出され、彩色のための描線の劣化が起きていない、無数の蟲がうごめき躍動する1カット。
そうした数秒ながら魅力あふれる映像を見せた後で、人工知能によってうごめくような移動をおぼえた人体を、ただ「気持ち悪い」「ゾンビ」として提供されても、無残としか感じられなかった。その移動する姿にしても単調で、番組前半で試行錯誤した3DCGにまさるとは感じられない。
そもそも3DCGで「気持ち悪い」表現をするだけなら、宮崎監督にとっても新しさはない。20年前の『もののけ姫』においてタタリ神の一部に使っていたのだから。


ただ同じ技術でも、たとえばシンプルな棒や箱が人工知能によって生命のような動きを学習した映像を見せて、命を吹き込む手段としてプレゼンテーションしていたなら、反応は少し変わっていただろう。
叱責の後に川上会長は「実験」と釈明し、宮崎監督もそれは認めつつ批判をつづけたわけだが*1、人間の形状をしながら二足歩行をしない情景のギャップは応用の領分であって、技術のプレゼンテーションではあるまい。
その応用にしても番組内の説明を信じるなら*2、最初から「気持ち悪い」表現をねらったわけではなく、勝手にできたものの位置づけとして「気持ち悪い」という言葉を使ったようだ。ならばその言葉の選択において、世界観の断絶があらわれているといっていい。
しかもそうした見なれた存在の、物理的に正確な動きゆえのギャップをアドリブで楽しむことすら、商業作品に前例がある。『gdgd妖精s』の1コーナー「メンタルとタイムのルーム」として展開され、ニコニコ動画でも配信されていた。


ただ、川上会長のようなプレゼンテーションは切りすてられて終わりなので、宮崎監督につぶされることはないだろう。

むしろ使えそうな若手作家こそ、宮崎監督の要求につぶされそうで、視聴者としては胃が痛くなったものだ((一時期は鬱屈したツイートばかり投下していたが、番組に対するツイートを見るかぎりは回復したようで、他人事ながら一安心した。))。

*1:宮崎駿監督、ドワンゴ川上量生会長を一喝「生命に対する侮辱」 | ハフポストで会話が書き起こされている。

*2:もちろん編集などの演出的な取捨選択はされているだろうが、視聴者の立場では何ともいえない。