名乗り出たのは釜山にすむ90歳の女性。中央日報の日本版が記事にしている*1。
釜山の90歳女性「私も慰安婦だった」 | Joongang Ilbo | 中央日報
影島区によればパク・ソンリプさん(90)は13日、影島区新仙洞(シンソンドン)の住民センターに慰安婦対象登録申込書を受けつけてもらった。パクさんは「20歳ぐらいに慶尚南道固城(キョンサンナムド・コソン)で友だちと遊んでいたら日本の警察に捕まって大阪に連れていかれた」として「そこの軍部隊で昼間は清掃と雑事をして夜は日本軍を相手にしていた」と述べた。
パクさんは4カ月間こうした苦難に会っている間に光復(解放)になって釜山に帰国したという。パクさんは娘を除いて家族に慰安婦だった事実を隠してきたが、最近の慰安婦交渉を機に事実を明らかにすることを決心したという。女性家族部は影島区からパクさんの申込書を受け取れば事実関係の確認手続きを進める。被害者の証言と当時の状況などに基づいて被害事実の有無を調査する。
まだ申請段階であり、公的に認められるかどうかはわからない。しかし、ひとつの証言として明らかにおかしいとはいえない。
さて問題のデマは、東亜日報記事を紹介するレコードチャイナ記事に対するjpn1_rok0氏のツイートだ。
まず「超時空」だというツイートに驚かされる。中央日報で「20歳ぐらい」、レコードチャイナで「20歳のころ」と、およその年齢しか書かれていないではないか。それを単純に足し引きして否定する意味がわからない。
そもそも年齢の計算としてもおかしい。たとえば元慰安婦が1925年3月の生まれだと仮定して、満年齢で考えると、現在の2016年1月に90歳、敗戦4ヶ月前の1945年4月に20歳。およその数字でなくてもなりたつ。
つぎに内地、つまり現在の日本国内に慰安所がなかったという主張だが、実際には複数の慰安所があったと考えられている。
元日本兵側の資料だけでも、千葉県や大分県で日本軍が慰安所を開設していたという手記が発見されている。
木更津 | Fight for Justice 日本軍「慰安婦」―忘却への抵抗・未来の責任
大分県中津市 | Fight for Justice 日本軍「慰安婦」―忘却への抵抗・未来の責任
大阪の慰安所ではたらかされたという元慰安婦の証言も以前から複数ある。報道をかいした断片で否定できるような証言ではない。