法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

浅羽祐樹氏、「反証可能性」の重要性を語った次の日、実際の批判には「他説をdisるのではなく、堂々と自説を展開してみろ」と情緒的に反発

とりあえず共著について語る連続した上記のツイートは、一般論としてなら首肯できる。
さらに、読者と共著者の下記ツイートをリツイートしているが、これも実行できるなら問題はない。


しかし実際に反証が示されたらしい出来事に対して、下記のようにツイートしていた*1

検証可能性を守る浅羽先生の戦いは1日で終わった。ご愛読ありがとうございました。


ツイートの対象は明記されていないが、共著がツイッターでの読者の要約*2にもとづいて批判された件かもしれないし、あるいは別件かもしれない。いずれにしても、「分析の過程を示すことで、どこで誤り、どう改善すべきなのか、誰の目にもわかるようにしている」と語った直後に、対象を明示せずに批判へ反発するのは、味わいぶかい態度ではある。
しかも批判が誤っていると切り捨てるのではなく、批判すること自体に価値がないかのような主張までふくんでいる。「反証可能性」とは何だったのか。ツイッターは必ずしも「学問の世界」ではないが、しかしこのツイートは学者という立場からの発言のはずだ。
そもそも論点が細部にわけいっている時、しっかり専門領域で調べたものだけが批判されているとは限らない。たとえばツイッターでひとりに質問していたことしか私は知らないが*3、本当に浅羽氏は『星の王子さま』について「まとまったものを何度も提示している」のだろうか。


念のため、批判のひとつひとつに必ずしも反応する義務は一般的にはない。たとえ内容として妥当な批判であってさえ、その批判の継続を甘受するかわりに反論や訂正をしない選択肢はあっていい。
しかし、かつて浅羽氏は2014年の朝日検証に対して、「なぜ誤報を取り下げるまでこんなに時間を要したのかについて検証が一切なされていない」という考えから責任を果たしていないと批判していた。それで自身は批判への対応を先延ばしにするならば、二重基準のそしりは免れまい。
従軍慰安婦問題についての浅羽祐樹教授の見解がよくわからない - 法華狼の日記

浅羽教授自身が自由記入で「強制連行の有無はすでに国際社会では主要な争点ではない」と書き、慰安婦問題についても朝日の捏造ではないと答えたはずだ。誤報部分が主要な争点にはなっていない過去の報道について、なぜ取り下げに時間を要した検証が必要だと思うのか、それがよくわからない。

ただ、わかったことがひとつある。著作を読もうが読むまいが、筋道を立てようが無根拠であろうが、どちらにしても浅羽氏は同じように耳をふさぐことがある。
もし浅羽氏がインターネットにおいて、反証を受けいれているという高評価だけを求めて、実際には反証を受けつけたくないのであれば、そのように自認するべきだ。ならば読者も浅羽氏に不可能な期待をすることはなくなるだろう。