法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ!』

ニューイヤーライブの成功後、着々とステップアップをつづける765プロのアイドルたち。
アリーナライブを目標に、候補生をバックダンサーとして、ともに夏合宿をおこなう。
そんなかれらには、ステップアップのための別れが待ちうけていた……


2011年に放映されたTVアニメの後日談として、2014年に公開された劇場版。121分という長尺で、キャラクターのプロモーションを展開している。
劇場版『THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ!』公式サイト
もともと原作ゲームを超えてファンコミュニティがふくらんだ作品であり、そのキャラクターイメージをそこなわない最大公約数を目指すように2011年にTVアニメ化された。キャラクターを固定したまま強いストレスをかけず、それでもアイドルになろうとするドラマを盛りあげようとしたことは、すごい仕事ではあったと思っている。
同じスタッフによるこの劇場版も、同じ方針で制作されたように感じられる。しかもTV版でアイドルたちのかかえていた問題はほぼすべて解決してしまい、起伏あるドラマを生みだす材料が残っていない。そこでバックダンサーとして複数の候補生を登場させ、アイドルへのステップでつまづくドラマを描こうとしている。
ひとりのリーダーがひとりの脱落者を救うだけの展開に、リーダー以外のアイドルや候補生のやりとりをはさむから、ストーリーの流れは遅い。あまりストレスをかけないから、停滞がドラマの重みを生むわけでもない。停滞しているリーダーの態度は批判されるものの、それがリーダーの問題として物語の主軸になるわけではない。
そもそも、劇場版においてアイドル側にはたいしたドラマがない。TVアニメ最終回の後日談でよくある、キャラクターの現状をまんべんなく映しだすようなファンサービスばかり。それぞれのアイドルらしい台詞を発して仕事をするが、物語においては先輩集団というひとつの役割りだけ。
いってみればアイドルのプロモーションビデオに、それを追いかけようとする候補生のドラマをくっつけた構図だ*1。最大公約数を目指す方法論のひとつではあろうか。


興味深かったのは、TV版と比べてもビジネスらしさが後退して、プロデューサーが物語から消え去っていること。そのため商業アイドルなのに部活動のようになっている。
ビジネスらしくない原因として、アイドルと観客が相互に影響しあうことがない。アイドルが良いパフォーマンスをすれば、そのまま観客がこたえてくれる。どのように観客に受けとめてもらおうかを悩まないから、とにかく良いパフォーマンスが目標となり、アイドル内の人間関係がドラマとなる。良いパフォーマンスが必ず正当に評価されるので、部活動の全国競技のようになる。
さらに中盤のライブで候補生がつまづいた時*2、批判する観客がまったく出てこず、ゴシップ誌に批判記事が出るだけというのが徹底している。ゴシップ誌はそういう記事を出すことが仕事であるかのような台詞もあり、つまり心から候補生を批判する他者は出てこない。完全にアイドルと候補生内で物語が完結する。
そしてアイドルを統括する男性プロデューサーは、TV版から仕事している姿があまり描かれなかった。直接的にアイドルへ指示をする場面もほとんどなく、まるで部活動の顧問のようだった。そして劇場版において、ハリウッド研修にいくという話が出てくる。そのことを知らされてアイドルは衝撃を受けるわけだが、後をひかないし、劇場版のクライマックスになるわけでもない。むしろいなくなることを予定された人材だからと頼りにされなくなり、画面にはいるのにドラマとかかわりがなくなる。
もうひとり、アイドルにダンスなどを教える女性プロデューサーもいるのだが、こちらは元アイドルであり、部活のOGのような位置づけだ。驚いたのは夏合宿のしあげとなるダンスで、現アイドルにさそわれてセンターで踊ってしまう。部活動ならば感動的な描写かもしれないが、商業アイドルの物語としては入れるべき描写とは思えないファンサービスだった。
ただし批判したいわけではない。商業アイドルという設定でアイドルだけで完結するドラマをつくるため、ぎりぎりの綱渡りをスタッフがしていることはすごいし、これはこれで評価してもいいのではないかと思った。


映像面は、ほぼTV版の延長上にある。アリーナライブで遠景のダンスに3DCGを用いているくらいで、ほとんどTV版と同じく手描き作画だけでライブを描いていた。
ライブとは別に目を引いたのは、冒頭の劇中映画予告のアクションと、夏合宿での水飲み場から歩みよるアニメーション。
まず、冒頭のアクションは元ガイナックススタッフらしい激しさで、壊れた柱をふりまわす重量感などが楽しいが、特に新しくはない。新鮮味があったのは、すばらしい手描きアクションなのに、劇中番組で宣伝するアイドルがCGのすごさを賞賛するという逆説。
そして水飲み場からのカットは、それが周囲から浮いているという話を確認するため劇場版を視聴したようなものだった*3。たしかに他の場面がシャープで無駄のない作画ばかりなので、すべての関節が連動するような人体のアニメーションは目立つ。とはいえ、劇場版全体を最後まで視聴すると、実際はドラマの中核となるキャラクターが、ふたりで自己紹介しあうという重要な場面でもあった。しかも菓子をぶちまけた作画は、ドラマの小道具を映像として印象づける効果まである。
弱いドラマを映像で盛りあげようとする方向性を、むしろ水飲み場からのカットが象徴していたのではないか。ライブで転倒する場面ではなく、舞台裏の場面に力を入れたことも、失敗によるストレスをできるだけ弱める一貫性がある。

*1:候補生側のドラマを洗練させ、わりと安易に解決した後半の問題を魅力に転化すると、TV放映中の別キャラクター新シリーズ『アイドルマスター シンデレラガールズ』になる。

*2:他の場面は作画で動かしているのに、このライブだけ止め絵の連続からゴシップ誌の写真に移行する。失敗する場面をできるだけ短く描写したいかのように。

*3:確定した情報源が見つけられないが、どうやら小松勇輝作画らしい。