法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『映画魔法つかいプリキュア!奇跡の変身!キュアモフルン!』

 朝日奈みらいは幼いころからモフルンというクマのヌイグルミに心をささえられてきた。マホウ界からやってきた十六夜リコや精霊から育った花海ことはとともにプリキュアに変身するようになった朝日奈は、百年に一度の大魔法フェスティバルに招待される。魔法で生きて動くようになったモフルンもつれていって楽しむ朝日奈たちだが……


 2016年に放映されたTVアニメの、同年10月に公開された劇場版。スタッフはTVアニメシリーズの前作『Go!プリンセスプリキュア』を手がけた田中裕太監督と田中仁脚本という布陣。

 まず、いつものミラクルライトの説明をするショートアニメの後、ミラクルライトを活用する3DCG短編がはじまる。制作の中心はトムスの子会社マーザ・アニメーションプラネットらしく、監督は手描きアニメーター出身の真庭秀明*1で、この時期はCGの仕事をよくしていた。
 劇場やBlu-rayの視聴に耐えるだけのCGクオリティはある。よく見るとキャラクターは実質的にキュアミラクルとモフルンしか登場せず、舞台も空に浮かぶ小さな島というリソースを省力できる設定だが、前作メインプリキュアキュアフローラや映画冒頭の長靴をはいた猫に変身する描写を挿入したり、島に降りたり落ちたりと島の外の広い世界もつかったり、制限のなかでせいいっぱい楽しませてくれる。


 本編は上野ケン作画監督で、ころころ丸いキャラクターがかわいらしく、強弱のメリハリがついた描線が劇場のスケール感を出して、アクションもグリグリ動く。映像ソフトブックレットのスタッフ対談によると、挿入歌にあわせてアクションをつくったところスピードが早すぎてしまい、作画までしたカットを削ったりアクションを減らしたりしたらしい。
 しかし映像で目を引いたのは、新規設定された背景美術。きちんと独自の世界として構築しつつもTV版では薄かったマホウ界を、そのシーンにしか登場しないさまざまな場所を見せて、にぎやかで楽しい異世界観光として成立させている。
 そこで映画独自の願いをたくす小道具として風船がつかわれ、まずイベントがおこなわれる場所のモチーフにつかわれる。敵ダークマターが最初に乱入する時のカメラワークをつけるため、上昇する風船を追う演出が地味にいい。そして劇場版シリーズ恒例のギミック、ミラクルライトを劇中では序盤のイベントで風船を出す道具にして、願いの大きさを視覚化するアイテムとして設定。その設定は中盤でも活用される。
 他にも、花海ことはがサーカスのイリュージョンに乱入した場面のドラゴンを違ったかたちで活用したり、とらわれた十六夜を救う場面でギャグじみたアイテムを活用したり、先に日常の一幕でつかった設定をドラマのなかで応用する構成がていねい。なんでもできる魔法がある世界が舞台だからこそ、その世界に何が存在して何ができるかを見せておくことが展開の説得力を出すために重要。冒頭の作品設定説明で朝日奈がナレーションで説明するように、シリーズのなかでも対象年齢を低く想定して、だからこそ段取りを抜かなかったのかもしれない。
 生きているクマのヌイグルミ、モフルンを中心とした仲間づくりの物語にするため、敵や名も無き住人として対等なクマを設定。くまモンのような実在のゆるキャラが集まったカメオ出演的なカットに敵ダークマターが映りこんでいるところが芸が細かい。ライトなコメディタッチの物語のようでいて、モフルンをいったんヌイグルミに戻す展開でメインキャラクターの死を疑似的に描くこともできた。モフルンをさがしてひとり飛び出して憔悴する朝日奈と、それを救う十六夜という構図はTV版の結末*2の先取りでもある。


 一時間強しかない尺で仲間をもとめるモフルンと朝日奈のドラマを同時並行で描いたり、さまざまな人が応援するシークエンスを作るためドラマが終わった後に大規模なバトルがはじまったり、けっこう構成はギクシャクしているのだが、それもイベント作品らしいにぎやかさを生んでいて飽きさせない。
 ただし敵ダークマターとのドラマが実質的に終わった後のバトルは、力が暴走して独立して動くよりも、手下としてつかっていた風船熊が制御をはなれて暴走した構図にしたほうが、とってつけた感が出なかったとは思う。また、魔法があたりまえに存在するマホウ界を否定しない物語である以上、敵が魔法を失って終わるべきではないとも思った。差別された原因を失って幸せになる構図に見えてしまう。暴走の責任として力を失ったというなら、そのように納得をする劇中描写がほしい。

*1:東映では『神様家族』キャラクターデザイン等。

*2:hokke-ookami.hatenablog.com