法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『ハピネスチャージプリキュア!』第48話 憎しみをこえて!誕生!フォーエバーラブリー!

長峯達也SDコンテ。悪くはなかったが、多数のプリキュアを登場させなければいけないこともあってか、『ハートキャッチプリキュア!』の終盤に比べて映像リソースが不足している感じ。
河野宏之作画監督にしては絵柄の癖がちょうど押さえられていたり、原画がいつもより多かったりと、力を入れているのはわかるが。


そして脚本は成田良美シリーズ構成。いつものように敵を愛でつつみこもうとするプリキュア。それに対するレッドの言動が、見事なアンチテーゼとなっている。
善でも悪でも愛することができたから、近年のプリキュアは敵をも救うことができた。しかしレッドは全てに対する無償の愛ではなく、個人に対する特別な愛を求める。これまでのような愛ではレッドは満足できないし、さすがにプリキュアも悪だけを愛することはできない。プリキュアパラドックスだ。
前回、誠司に対して特別な愛を向けられないことを、キュアラブリーが言外に語った問題*1。それで納得してしまった誠司と違って、レッドはキュアラブリーの問題を浮きあがらせた。特別な愛を向けなかったブルーと、特別な愛をえられたミラージュと、特別な愛をほっしたレッドという対比もわかりやすい。


ただし今回も、前回とは違うかたちで問題から逃げてしまった。キュアラブリー個人の愛ではとどかないからと、複数の愛に助けられてレッドと対峙する。たしかにパラドックスを解消する方法のひとつだし、フォーエバーラブリーへの変身シーンは良かったが、ドラマとしてキュアラブリーの問題を棚上げしてしまった。
さすがにレッドを今さら切り捨てることはできないだろうが、他に解消する方法をひねりだせなかったものか。たとえば誠司の正体がレッドで、邪悪な正体をあらわした相手とともに堕ちることをキュアラブリーが選ぶとか。そこまで踏みこまなくても、キュアラブリーが自身の無力を認識しつつ最後の戦いにのぞむとか。


ふと、長峯達也監督が映画『ONE PIECE FILM Z』を制作した時のエピソードを思い出す。
vol.225 長峯達也 | OKStars 10 ANSWERS OKな人をもっと知りたい 10個の質問インタビュー | OKWave

一般人から見れば悪魔の実の能力者ってきっと憎しみの対象ですよね。その圧倒的な力を持つ能力者に、普通の人がヒーローとして立ち向かったとき、どう対抗して能力者をぶっ飛ばすのか……。それが「ゼット」というキャラが生まれた最初のネタでしたね。構想段階ではゼット側のドラマをもうちょっと描こうと思っていました。でも尾田先生からゼット側のドラマはルフィを引き立てるくらいにしたほうがいいという意見があり、「なるほどな」と思ったので、ゼット側のドラマは抑えて描きました。

敵側の心情に力をいれすぎて、味方の主張に説得力がなくなってしまったのは、長峯監督の作風が悪い方向に出たということなのかもしれない。