法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

朝日新聞が夕刊1面でスクープした事件すら知らなかったのに、朝日新聞の捏造で従軍慰安婦問題が始まったと主張する、ふしぎな西岡力氏

植村隆氏が西岡力氏と文藝春秋社を訴えた件について、下記ブログエントリに請求内容がしるしてあった。
澤藤統一郎の憲法日記 » 植村提訴記者会見報告ー敵役をかって出た産経に小林節の一喝

請求の内容は、次の3点。
 (1)ウェブサイト記事の削除
 (2)謝罪広告
 (3)損害賠償

週刊文春や著作のみが対象とばかり思っていたが、請求原因に「歴史事実委員会ウェブサイトへの投稿」もふくまれているという。これは下記ページのことだろう。
西岡力
このページを植村氏側が把握しているのかどうか気になっていたのだが、とりあえず一安心した。インターネットにおける影響力は無視できないものがあり、今後の裁判をとおして誤りがさらされていくことを望みたい。もちろん本来ならば、裁判などおこなうまでもなく否定されるべきページではあったが。


ちなみに私個人も約5年前に批判エントリをあげたが、植村隆記事についてはふれなかった。そこに注目するまでもなく、当該ページには初歩的な誤りと人権感覚の欠落が多かったのだ。
拉致被害者を支援する団体に、拉致問題を否認する西岡力新会長が就任 - 法華狼の日記

河野談話」が出て五年くらいたった時、中川昭一さんが会長となった「日本の歴史教育を考える若手議員の会」が「慰安婦問題」の検証作業をしました。私も出席していたのですが、外政審議室の人が出てきていたのでその人に、「この『河野談話』の官憲等という記述は何なのか。この記述が問題だと思う」と言ったら、「これはインドネシアにおけるオランダ人を慰安婦にした事例だ」と言う。
調べてみると、数カ月ですが本人の意志に反してオランダ人を慰安婦にした事例がありました。しかし、その軍人らはインドネシア駐留軍の上部から軍規違反で処罰され、慰安所は閉鎖になった。処罰されたということは、組織として「強制」していないということです。しかも戦後、その軍人らはBC級戦犯として死刑などになっています。

河野談話が出てから5年後、つまり1998年にようやく白馬事件を知ったのか。1995年初版の吉見義明『従軍慰安婦』でも言及されているのだが*1慰安婦問題を議員達で検証作業しながら、外政審議室の人から聞かされるまで知らなかったというのだから、どれほど内輪向けの「検証」にすぎなかったかが、よくわかるというものだ。
しかもオランダ人の抗議で慰安所が閉鎖されただけで、日本軍内部で処罰されていたわけではない。

植村記事における慰安婦と挺身隊の混同と違って、一般的な新書を一読すれば誤りと判明することが堂々と書かれている。
さらに今あらためて読み返すと、朝日新聞や植村記事に重い責任を負わせようとする西岡氏への強力な反証になっていることにも気づかされる。


白馬事件は朝日新聞がスクープし、1992年7月21日の夕刊1面および社会面にとりあげていた。「すべては朝日新聞の捏造から始まった」と当該ページの見出しで西岡氏が主張するほど影響力があるのであれば、白馬事件も周知されていなければおかしい。
まったく興味がないならともかく、1998年に西岡氏は河野談話を「検証」していた。関係者を日本軍が処罰したという誤情報はさておいても、そのような事件が存在した知識くらいは持っておくべきだった。そうすれば、あらためて自身の矛盾をつきつけられることもなかったろう。

*1:175頁からスマラン慰安所事件の顛末として、他のオランダ人従軍慰安婦問題とともに書かれている。