法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『THE END OF EVANGELION 新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』の結末で、なぜ少女は「気持ち悪い」といったのか

8月25日に日本テレビの「映画天国」で放映予定の、映画としてリメイクされた『新世紀エヴァンゲリオン』の最終回。
映画天国
人々がSF的に融合し、狂騒的な心情を吐露していった果て。
主人公の少年は、たがいに壁をもつ個別の人間として生きることを選ぶ。
他に誰もいない海辺で横たわる、少年と少女。
少年シンジは、なぜか隣にいた少女アスカの首をしめる。
シンジの行動を止めたアスカは、泣いている相手を見て、つきはなすように「気持ち悪い」という。


この結末は、当時からさまざまな憶測をよんでいた。しかし最近に見返したところ、シンプルに冒頭と対になっていると考えればいいように思えた。
映画の冒頭でも、周辺の状況こそ違えど、シンジの目前でアスカが横たわっている。シンジがすがりついて引きはがそうとすると、裸体がさらけだされる。その姿に息を飲んだシンジは、衝動的に自慰をおこない、「最低だ、俺って」とつぶやく。
そして物語の途中で人間と人間が物理的に溶けあい、心が共有される。そこで少女アスカは少年シンジから性的な視線を向けられていたことを知る。より正確には、隠しごとを知っていたというシンジに対する台詞がある。
だから恥を隠すためシンジは衝動的にアスカの首を絞め、隠しごとを知ったアスカは潔癖にシンジを気持ち悪いといった。脚本だけからいえば、隠しごとが性的なものでなくても、こういう解釈で成り立つのではないかと。
誰しも心の中に燃やしてほしい積み荷をかかえているものだ。


ここで少し不思議なのは、溶かす人間の心を映しとるように現れる存在が、アスカの前にだけは現れていないこと。一度しか見返していないが、たぶん見落としてはいないと思う。
アスカが先に戦いで倒れたことは関係ないだろう。溶けあう直前に死んだ人の前にも存在は現れているのだから。そしてアスカが溶けているらしいことは、シンジの夢に登場することから確かだろうと思われる。
となると、アスカの心から何が映しとられたのだろうか、という疑問をおぼえる。それをなぜ映画は隠そうとしたのか。あるいは、これまで全てシンジの夢と思われていたパートに、アスカの心が映っているシーンがあるのだろうか。それが新しく気になっている。