法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『BLEACH 死神代行篇』

黒崎一護には霊を見る力がある。ある夜の自室で不思議な少女を見た一護は、少女もまた霊だと考えた。しかし少女は他の霊を冥界へおくり、自らを死神と名乗る……


2016年に完結した人気少年漫画を、2018年に実写映画化。監督はVFXアクション重視の漫画実写化を成功させてきた佐藤信介で、脚本も羽原大介と共同で担当。

佐藤監督は樋口真嗣神谷誠と組み、『修羅雪姫』『GANTZ』『アイアムアヒーロー*1『キングダム』*2いぬやしき*3と、日本映画で可能な企画でVFX多用のアクション実写化の完成度を高めてきた。
今作も、地方都市の駅前ひとつを巨大オープンセットと合成でつくりあげてクライマックスのコロシアムとして使いきったところなど、VFXアクションとしては期待通りよくできていた。
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物語のスケールにあった適度な広さで戦いの位置関係に混乱しないし、ばくぜんと建物を壊すだけでなく駅前にあるものを障害物や足場として活用して視覚的な変化で楽しませる。
怪物化した霊「虚」は明らかに3DCGだが、一般人には見えない超常の存在なので許容できる。身長の低い少女が主人公を圧倒する殺陣も細かいカット割りでごまかせているし、ワイヤーアクションも自然で見ごたえあった。


とはいえVFXを多用したアクション映画の作り手としては監督に信頼をおきつつも、ポスターなどのビジュアルは無理を感じたのが正直な感想だった。
同時期の漫画実写化も同じようにビジュアルが不安視された『ジョジョの奇妙な冒険』や『鋼の錬金術師』といった作品がつづき、それぞれ公開後もコスプレっぽいという評価まではくつがえせなかった印象も大きい。
また、長大な連載から序盤の事件解決オムニバスだけ映像化するのではなく、死神同士の制裁などが描かれそうな予告も、物語がまとまりにくそうに感じられた。序盤の悪霊人情劇もけっこう好きだったからこそ、別の死神を出す必要はないのではないかと思った。


しかし実際に本編を見ると、予想した無理をいっさい感じなかった。むしろビジュアルもストーリーも大成功した『るろうに剣心』と比べても、リソース不足や長大な原作要素の未整理を感じさせない*4
全体的に日本映画が可能な、いやむしろ得意といっていい表現にしぼって原作から要素を抽出して、うまく再構成している。あえてジャンルを区分するなら白石晃士監督のホラー映画『カルト』をさらにヒーロー映画に寄せたような作り。

まずアバンタイトルが象徴するようにJホラー的な世界観から導入して、そこにヤンキー映画のような主人公が暴れて漫画チックなテロップまで出して、リアリティを意識的に低くしていく。漫画らしい主人公の髪形や髪色はヤンキー映画なら珍しくない。不良ではない妹たちは原作と違ってふたりとも黒髪で、再現する必要の有無をきちんと判断している。
そこから超常の能力と仕事を望まず押しつけられた主人公が、それをなくすことを目標とする生活がはじまり、そのために少年漫画らしく日常にまじえた特訓や事件解決を描いていく。主人公の当面の目標がはっきりしているので、さまざまな出来事や思惑が同時進行しても物語がまとまっていて見やすい。


原作の序盤で印象的だった織姫のドラマはいっさいつかわず、主人公の家族愛ドラマと死神少女との別離ドラマに整理して、きちんと物語も完結した。
原作で人気が高まるのは死神同士の内紛からだが、先述のように序盤の悪霊人情劇もけっこう好きだったので、映画化された範囲でも楽しく見ることができた。
いかにも浮きそうに思えた死神も意外と納得できた。社会の外から社会の秩序を暴力的に守るという設定からヤクザ映画の任侠を連想できて、それゆえコスプレめいた着物姿で現代日本を闊歩しても意外と見ていられる。
組長の養女として稼業を手伝う少女が、たまたま出会ったヤンキーと仕事をすることになり、カタギを巻きこんだとして兄弟に制裁されかける……この作品は全体としてそのような構図になっている。主人公のヤンキー性はカタギとヤクザの中間にいる象徴というわけだ。
別の死神との戦いは、あくまで死神少女との別離を描くための布石だった。


ただひとつ注文をつけるなら、石田という少年は、出番をひかえても良かったかもしれない。人間なのに死神のような能力をもち死神と対立する種族クインシーという設定は、ひとつの映画におさめる第三勢力としては過剰すぎる。
一応は超常アクションを成立させられているし、説明不足というほどではないが、映画における役割りは元死神の浦原と一本化できるはず。この映画内の浦原の設定でも、後半に超常的な説明をしたり、中盤で危機におちいった主人公を陰から助ける役割りを無理なくこなせるだろう。
怪物化した霊「虚」をおびきよせる行動だけは浦原がやると不自然だが、そもそも石田にしても敵か味方かわからない中盤の時点では成立しているが、終盤からふりかえると少し違和感ある。それより死神がルキアをおびきよせるため住宅街に追いたてた、みたいな真相のほうが映画にあっていたのではないだろうか。


また、柳下喜一郎氏の映画単独で観た評価を読んだところ、たしかに原作独特のネーミングセンスをうまく落としこめていなかったかもしれないとは思った。
『BLEACH』 ますますCGとワイヤーワークの実写アニメが増えていくのだろうけど、アニメでかっこいいとされている紋切り型表現はそろそろ再考していただきたい (柳下毅一郎) | 柳下毅一郎の皆殺し映画通信

死神ってなに? ソウル・ソサエティってなに? クインシーってなに? そうした疑問にはいっさい答えることなくひたすらアクション、アクションでつないでいくのはまあ潔い映画づくりと言えようか。

原作は「尸魂界」と書いて「ソウルソサエティ」と呼ぶような漢字とカタカナの複合でイメージさせる漫画らしい手法をつかっている。そこで映画では基本的に呼び名が台詞で出てくるだけ。たとえば「冥界」といった一般的な言葉に置きかえても良かったかもしれない。
さすがに「虚」と書いて「ホロウ」と呼ぶ敵には説明の時間があるし、「始解」は能力をしっかり見せて言葉で説明しなくても理解できるようにしていたので原作読者としては問題ないと思っていたのだが……この設定の説明の難しさが、基本的に時代劇の延長にとどまる『るろうに剣心』と比べてヒットできなかった原因のひとつかもしれない。

*1:hokke-ookami.hatenablog.com

*2:後述のヤンキー映画っぽさは、この映画ではスケール感を小さくしてしまったとは思うが。 hokke-ookami.hatenablog.com

*3:hokke-ookami.hatenablog.com

*4:るろうに剣心』は1作目の牙突のような試行錯誤が本編でもしばしばある。 hokke-ookami.hatenablog.com 物語も、1作目で原作から消した蒼紫の因縁を2作目以降でおぎなわなかったことは評価を落とさざるをえない。 hokke-ookami.hatenablog.com