法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

おおかみこどもの母親は、細田監督の理想像

細田守監督は『おおかみこどもの雨と雪』上映時のインタビューで明言していた。おおかみこどもを育てた母親の花を、現代を舞台とした物語で描いた理想的な親だと。
【前編】日本アニメの担い手・細田守監督が語る「映画を作る意味」 | ORICON NEWS

子どもたちの主体性を尊重し、覚悟を持って受け止め、成長を見守っていく姿は、非婚や少子化が進む世の中とは逆行しているとも受け取れる。

 「だからこそ、子育てをする親を描くのが面白いと思いました。ただし、昔の“産めよ増やせよ”の時代を舞台にして『昔はよかった』という作品ではなく、ちゃんと舞台を現代に据えて、社会や学校で起こるさまざまな問題点も踏まえたうえで、『親になる』という覚悟や、ある種の潔さを見せたいと思いました」と、チャレンジを明かす。

同じインタビューで、現実を描くことから逆行した理想とも明言している。

 「今のアニメは登場人物がいかにリアルか? また、現実に絡め取れるかということを切り口にしたものが多いように思います。その反面、理想を語るということをおろそかにしているような気がするんです」と、細田作品の根幹ともいえるテーマに話はおよぶ。
「親はどうあるべきかに限らず『人間はこうあるべき』という事への批判的な切り口の作品は多いように思える。でも、そうじゃなくて『こんな風になれたらいいね』っていう憧れや、ちゃんと自分たちが頑張れば到達できる! そんな『理想を共有する』と言った事を切り口にする映画がもっとあっても良いのではないか」と、アニメーション映画が表現し得るテーマや表現の多様性と、その可能性について語る。

花の言動を怪物的とみなす感想を見かけるが、理想のみを追求したキャラクターが非人間的にみなされるのは、よくあることである。理想と怪物は相反しない。
ただ、そうした理想をそのまま共有できるかというと、かなり難しい話だ。特に田舎に移住した花の姿は、がんばって到達できるような代物ではない。


個人的に、花と最も近い印象のアニメキャラクターといえば、たとえば『王立宇宙軍 オネアミスの翼』のリイクニや、『プラネテス』のタナベだろうか。二人とも、最初は聖性をまとって世俗の主人公を導こうとしながら、聖性を獲得した主人公といれかわるように世俗に堕ちてしまう。
花の特異さは堕ちなかったというか、田舎生活でふりかかる障害や批判に対して折れなかったところにある。そういう聖女的なアニメキャラクターも珍しくはない。ただし花が一度も折れることがなかったかというと、そういうわけでもない。最初に都会生活で折れ、逃れるように田舎へ移住したのだから。ゆえに都会生活を長く描いた意味が気にかかっている。
『おおかみこどもの雨と雪』のリアリティーとファンタジーのアンバランス - 法華狼の日記
一応、映画全体が長女の視点で語られており、子供が物心つく前は母親からの伝聞にすぎないという指摘もある。しかしそれならば、長女の雪は母親をどのような人格ととらえているのだろうか、という疑問が生まれる。
よりによって狼ではなく人として生きることを選んだ雪が、なぜ母親の都会嫌悪を主観的な事実としてとらえているのだろうか。それとも、狼と決別したいからこそなのだろうか。