法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

Wikipediaで脚本家「白井千秋」の正体が細田守監督と誤認されていた話

誤認とわかった記述は『少女革命ウテナ』項目の、第29話の脚本家「白井千秋」だ。
少女革命ウテナ - Wikipedia
その名前のリンクは脚本家「月村了衛」にリンクされているが、履歴を見ると、2010年8月21日 (土) 10:04版から2015年4月6日 (月) 08:15版まで「細田守」にリンクされていた。
「少女革命ウテナ」の版間の差分 - Wikipedia
「少女革命ウテナ」の版間の差分 - Wikipedia
どちらも特に出典は付記されていない。しかしおそらく「月村了衛」への修正は4月4日に脚本家自身のブログで明かされたためだろう。


月村了衛原案構成のTVアニメ『ノワール』は、視覚デザインのため使われている「NOIR」表記が正式な表記であるかのように誤認されやすい。
もちろん原案者自身は正確なタイトルを表記していたのに、Wikipediaを根拠にして校正が勝手に「NOIR」表記へ変えたことがあるという。そこでWikipediaの不正確さのひとつとして、別名義を用いていたことを明かしていた。
近況、雑記 - 月村了衛の月録

ウィキペディアに間違いが多いのは今さら言うまでもありませんで、
自分の項目に関して申しますと、先に挙げた『ノワール』の表記をはじめとして、不正確な記述や抜けている作品の多いこと多いこと。
〈ネットに書かれていないものは存在しないものである〉とみなされる社会の恐ろしさよ。
ウテナ』で一本だけ執筆している「白井千秋」は私の別名義ですが、ウィキの該当項目をクリックするとまったく違う人物の項目に飛ばされて驚きました。

ただし『少女革命ウテナ』では「白井千秋」名義を使う前に「月村了衛」名義での脚本も複数ある。
アニメスタッフの偽名については、過去にも何度かエントリを書いた。さまざまな理由で途中から別名義を用いるようになったらしい例も複数あった。
『鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMIST』第51話 不死の軍団 - 法華狼の日記
偽名アニメ演出家の十文字糺と井上草二について - 法華狼の日記
今回、新しく「白井千秋」名義を用いた理由までは明かされていない。しかし細田守脚本と誤認された理由は何となく見当がつく。


実は現在でも「細田守」項目では、プロフィール欄に別名義として「橋本カツヨ 遡玉洩穂 白井千秋」の名前がならんでいる。
細田守 - Wikipedia
「白井千秋」名義と書かれる以前から、2007年8月11日 (土) 05:30版から『少女革命ウテナ』での仕事として「29話(脚本兼)」と記載されていたことまで確認した。
「細田守」の版間の差分 - Wikipedia
やはり出典は明記されていないが、細田守監督側から流れた情報がもとになっているらしいと考えられる。


もともと細田守監督は「橋本カツヨ」名義で『少女革命ウテナ』に参加していた。当時は東映所属の演出家だったため、他社の仕事をうけるために偽名を用いたことが明かされている。すでに偽名を使っていたから、新しく偽名を用いても不思議ではない。
そして問題の第29話では、物語も細田監督自身がつくったという話が昔から流れていた。Wikipediaに「29話(脚本兼)」と書かれた2007年、雑誌『フリースタイル VOL.7』が「細田守──『時をかける少女』を作った男」という特集を組んだ。そのインタビューで細田守監督自身が下記のように答えていたという。
薔薇物語 「荒行 1997」 細田守インタビュー

――二十九話は脚本も橋本さんが担当なんですか。


細田:はっきりと元の脚本が気に入らなかったんです。これは樹璃じゃないって。樹璃はこんな感じで終わらせちゃいけないって幾原さんに言ったら、「脚本家に戻してる時間はないから、やるんだったら自分で新しいのを書きなさい。でもコンテのスケジュールは変わらないからね」って言われた。それで脚本をまったく見ずに、いきなりぶっつけでコンテを描いたんです。
放映されたら脚本家のクレジットが元の脚本家の名前ではなく、「白井千秋」って名前になってました。

単純に読めば、第29話が細田守脚本であったかのように感じてしまう。しかし、よく読めば「元の脚本」があったこと、「元の脚本家」がいたことも語られている。
しかも実際は脚本を書いたわけではなく、脚本を見ずに絵コンテを描いたというだけ。もちろん脚本への不満を先に述べているわけだから、あくまで作業時に脚本とてらしあわせなかっただけで、いわば叩き台としては使われていたことになる。


つまり「白井千秋」名義は、演出家が偽名で脚本を書いたという話ではなく、演出で内容が変えられてしまったため脚本家の名前を出さなかったという話らしい。
アニメ制作では、コンテ段階で脚本を大きく変えることがよくある。アニメスタイル編集長が、インタビューでの経験談をコラムで語っていた。
WEBアニメスタイル_COLUMN

アニメの世界では決定稿になった脚本の内容が、絵コンテの段階でガラリと変わるなんて珍しくありません。あるいは決定稿になるまでに、監督やシリーズ構成の(あるいは、プロデューサーの)の手が入る事もあるわけで、どこからどこまでが脚本家の仕事かは一線が引きづらい。
 脚本家の方に「あのシーンがよかったですよ」と言ったら、「私はそんなシーンは書いていません」なんて返された事が何度かあります。印象的なセリフの多いある作品で、メインライターの方に取材したら、僕が記憶していたのがどれも脚本にないセリフだった事もありました。

具体例としては、北久保弘之監督のツイートによると、映画『BLOOD THE LAST VAMPIRE』の神山健治脚本を冒頭しか使わなかったという。
アニメ監督佐倉大(北久保弘之)氏の「BLOOD THE LAST VAMPIRE 解体新書」六回目 - Togetter
さらに北久保監督のツイートによると、押井守監督も伊藤和典脚本をそのまま使っているのは三割だといい、しかし三割も使える脚本は貴重ともいっていたらしい。


Wikipediaでの「白井千秋」も、詳細かつ正確に書かれていれば、脚本とコンテの関係をうかがわせる事例のひとつになれたろう。
ただの不正確な記述とされる状態になっていたことは残念だ。