法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『さくら荘のペットな彼女』第23話の卒業式は、そもそも普通の卒業式ではない

このTVアニメ作品は、原作から時系列を大きくいれかえた改変に対して、改変された料理が韓国料理だったことだけが選択的に問題視されたことがある。
『さくら荘のペットな彼女』サムゲタン選択的批判という問題 - 法華狼の日記
そして今回、先日のエントリでも紹介したが、卒業式に国旗や国歌の描写が存在しないだけで、原作改変だとして非難された。
『アイカツ!』の卒業式で大笑い - 法華狼の日記

上が同時期のTVアニメ『アイカツ!』の卒業式で、下が『さくら荘のペットな彼女』の卒業式だ。

原作でも国歌斉唱があったことが小さく言及されている程度なのだが、なぜか国旗もあわせて重大視されている。今でも国旗や国歌は見事なまでに“非国民”をあぶりだす踏み絵として機能しているようだ。
もちろん、それは作品への真摯な感想とはいいがたい。『さくら荘のペットな彼女』を視聴し続けていれば、そうでなくても卒業式だけでも見れば、国旗や国歌を描写するべきという要求が、作品の主題に反していることが理解できるはずだ。


この作品の舞台は、水明芸術大学付属高等学校だ。普通科、音楽科、芸術科にわかれており、主人公の周囲には創作家や、その卵が集まっている。そして創作に人生をかけているような問題児を集めた特別寮「さくら荘」へ主人公が入るところから物語がはじまる。そこで主人公は奇人変人に染まりながら、創作への情熱を育んでいく。
つまり、もともと一般的な高校を舞台とした物語ではなく、規範的でない仲間に主人公が影響されていく物語なわけだ。むしろ規範が押しつけられた場合、登場する少年少女は反発するだろう。


現実にも、東京芸術大学附属音楽高等学校の2010年度卒業式について紹介しているブログエントリを見ると、国旗の存在が写真からは確認できない*1
東京芸術大学附属音楽高等学校卒業式:美味しいピアノ♪よもやま噺♫ピクニック 徒然日記:So-netブログ

向かって左に学校旗、右に花瓶を配置している構図は、水明芸術大学付属高等学校の卒業式と同じだ。なんらかの共通する背景があるのかもしれない。
写真のフレーム外、たとえば校庭の掲揚台などに国旗がかかげている可能性もあるが、それならば『さくら荘のペットな彼女』にも同様の可能性がある。卒業式を映す時に必ず国旗を入れなければならない義務などない。


さらに具体的な内容を紹介すると、終盤の展開で、さくら荘の存続問題が持ちあがる*2。その問題児ばかりの特別寮を存続させるために、主人公達は署名活動で奮闘し、少しずつ学友の理解を集めていく。それが数話かけて描かれる。
そして、その存続問題は卒業式にまでもちこまれる。卒業生として答辞を続けていた少女は、さくら荘が大切な場だったとうったえ、存続させてもらえるように頭をさげる。それを問題視する教師を止めようと、仲間も体をはり、行動していく。

その行動に前期主題歌がかぶさり、前期OP映像と風景が重なりあっていく。

より大きく周囲をまきこんで。

そう、いかにも青春を描いた作品らしい卒業式だったのだ。ニューシネマ映画『卒業』等と違って、じっくり周囲に根回しをしたり、直接には関係ない人々をまきこんでしまった責任を感じたり、卒業式という特別な雰囲気に助けられた自覚が主人公側にあったり、周囲の反応も慎重に描写していたところは、日本的で現代的といえるだろうか。
もちろん物語の卒業式に現実性や規範を求めることも自由だ。しかしそれならば、国旗や国歌が描写されていないことよりも、まず主人公らの行動に疑問をおぼえるだろう。そして卒業式を利用して存続をうったえる展開そのものは原作を踏襲しており、卒業式から規範性を薄める改変をしても原作の主題に反するわけではないとわかるだろう。


そもそも、こうした激動的な物語を描いているのだから、国歌を描写する余裕があったかどうか。
ただでさえ、話数の制限にあわせて原作から省略したり時系列の移動をおこなっているTVアニメだ。この第23話でもOPとEDが省略され、本編にスタッフクレジットがテロップされていた。
物語内容においても、学校や恩師との結びつきが重視されているのだから、特に主人公が恩義を感じるような背景がない国家よりも、校歌を優先して描写するのは当然だろう。
式次第に国歌斉唱の記載がないという指摘もあるが、それも重要な問題とは思えない。式次第に存在しない斉唱描写があるならば一方を修正する理由になるが、描写されない歌が式次第に存在しないことは矛盾ではない。


さらに、実は第23話においては、「日本」という国名へ意識的に言及した場面も存在する。それは物語の冒頭、桜の胸飾りが、外国の友人から主人公たちに贈られた時のことだ。

空太「リタ、これって?」
リタ「桜は、日本人の門出にとって、特別なものと聞きました。そこで水高のみなさんが同じ桜を胸につけ、卒業をむかえられたらと」

「さくら荘」の存続をかけた物語であるからこそ、国旗や国歌より優先されるモチーフとして、桜が使われた。外国人がわたす状況だからこそ、わざわざ日本固有の文化という言及がなされた。
本筋に関係しない過程として小さく言及されるより、ずっと作品に密接な描写として日本文化が賞揚されていた、とすらいえるかもしれない。

*1:エントリに掲載された式次第を見ると、在校生オーケストラの曲目に国歌演奏がふくまれていたことはわかるが、斉唱されたかは不明。

*2:今回の本題ではないが、主人公に魅了と嫉妬の感情をいだかせた少女が、その原因になっているという構図がうまい。この作品は多くのモチーフにおいて、のめりこませるだけの魅力と、それにのめりこんだ結果の苦痛を、強烈な落差をもって描き出す。くわしくは説明しないが、署名活動においても意外な角度から主人公は苦悩することとなった。