法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

従軍日記はなぜ鉛筆で書かれないか

実際には鉛筆で書かれた従軍日記もあり、たとえば一昨年に発見された井上靖従軍日記は鉛筆で横書きされていた。毎日新聞記事の本文は消えているが、写真ページで今も確認できる。
http://mainichi.jp/photo/graph/20091025/19.html


井上靖:従軍日記見つかる 中国出征から送還までの半年】
「従軍日記見つかる」P説:手帳に小さな字でびっしりと鉛筆書きされた、井上靖の従軍日記=鶴谷真撮影

しかし多くの従軍日記は万年筆やペンで書かれている。そのことを理由として、貴重な歴史資料を否定しようとする人もいるようだ。なぜなら、戦場ではインキ等が手に入らないからだという。
http://himawari823.no-blog.jp/unchiku/2011/02/post_3fe7.html

従軍日記のほとんどはインキが使われ、遺品の万年筆は各地の平和祈念資料館に、また、靖国神社遊就館にも展示されている。したがって、戦地で兵士が日記や手紙などを書くにあたっては、基本的に万年筆で書かれていたことがわかる。
 
 ところが、ある人からこのブログの「南京事件論争史」についての記事に書き込み(未公開)があり、「兵士が戦場でペンで日記を書いたと言うなら、それ自体、あり得ない」と言ってきた。であるから、ペン書きの日記は「ニセモノ」であると決めつける。

もちろん上記エントリのブログ主は安易な従軍日記否定論を切り捨てつつ、証言収集活動を行っている松岡環氏と連絡をとり、戦前の万年筆普及についての回答も紹介している。


インキ等が手に入らないという疑問には回答が出されたが、従軍日記が万年筆書きばかりな理由は別の角度からも考えることができる。
視聴者からの疑問や願望に応えるTV番組『探偵!ナイトスクープ』の、2011年初頭に放映された回で、戦地から届けられた葉書の内容を確かめてほしいという依頼があった。
http://asahi.co.jp/php/knight-scoop/search/search.php?mode=result&oa_date=20110107

2.『レイテ島からの葉書』探偵/田村裕
大阪府の男性(65)から。私の父は新婚5ヵ月で召集され、フィリピンのレイテ島に出征し、私が生まれた昭和20年1月には、すでに戦死していたようだ。女手一つで私を育てた母の苦労は並大抵ではなかったが、その母も5年前に他界した。母の遺品を整理していて、出征した父からの葉書を2枚見つけた。それは鉛筆書きで、母が何度も読み返したためか、かなり磨り減っている。1枚は何とか読めたが、もう1枚はほとんど読めない。しかしその中に「身重であるお前」と読める箇所を発見した。父は母が私を身ごもっていたことを知っていたのか。それとも、知らずに逝ってしまったのか。父の葉書をなんとか判読してもらえないか、というもの。

公式サイトの説明にあるように、鉛筆で書かれた葉書は読みにくいものだった。
もちろん探偵は様々な手段をこうじて文章を解明していく。その過程もまた興味深く、よりによって「身重」の可能性がある部分に皺が入っていて単純なデジタル処理では読めなかったり、探偵とデジタル処理を行った専門学校講師は「身重」の「重」という部分が「真実」の「実」に見えると両者そろって口にしたり。また、鉛筆の炭素を用いて読み取れるという奈良文化財研究所でも、全文と読み比べなければ「身重」と判断できないという。一世紀もたっていない文書ですら、読み取ることには様々な困難がつきまとう。
そして最終的にほぼ全文が判明した時、葉書の書き出しそのものにインキを入手できなかったことを悔いる文面があった。つまりインキは余裕がある時に入手し、戦場へ持っていっていたらしい。

インキと煙草を持つて来なかつた故 不自由してゐるよ。
やはり持つ物は持つべきだね。

この文面から、鉛筆書きの記録は意図せず消えやすいし、それを兵士側もおそれていたということがうかがえる。
本編が終わった後の探偵による解説でも、実際には葉書がレイテ島からではなく途中で立ち寄った台湾から個人的に投函されていたことが明かされた。そのおかげで検閲もされずに届いた可能性があるという。
兵士個々人も、自分の記録が残り、伝わることを願っていたのだ。だから手軽な鉛筆ではなく、万年筆やペンにこだわった。それが鉛筆の従軍日記が目立たない一因だと思う。


なお、この回は全体的に完成度が高かった。
おおまかな番組の流れは下記エントリを紹介させてもらう。詳細に説明されているだけでなく、番組では語られなかった興味深い指摘もある。
レイテ島からのハガキ:Luminescence