法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『ドラえもん』ドラえもんだらけ/鏡の中の世界/のび太の人魚大海戦

昨年公開の映画をふくむ、3時間SP。今年公開の映画宣伝企画もいくつかあったが、新規の映像は確認できず。鉄人兵団の各隊長らしきロボットのデザインが確認できたくらいか。
本編は、まま楽しめる内容だった。


ドラえもんだらけ」は、意外なことに完全な新作。リニューアル初期2005年6月10日にアニメ化されたものの再放送かとばかり思っていた。
早川正、前田康成、宮本幸裕、西本真弓がそれぞれ脚本、コンテ、演出、作画監督を担当した前回。大野木寛、八鍬新之介、吉田誠へ代えた今回。それぞれの良さがあったと思う。スラップスティックギャグとしてもタイムスリップSFミステリとしても傑作な原作を見事に映像化していた。
前回について書いておくと、新しい声のイメージが固まっていないことを利用して、各時間のドラえもんを声の高低差で表現した音響演出が出色。8時間後のドラえもんが来た場面は、発狂して登場したかと思えば力つきるというアニメ独自の演出が効果的で、かつ暴力描写をさける自主規制なのに違和感がない。6時間後のドラえもんのび太が見捨てる描写は他人事のように改変され、これもまた暴力描写をさける自主規制であると同時に、のび太の人間的なひどさが増す。8時間後についていうと、呼びにきたドラえもんへ自ら向かっていき、難なく連れていった原作と比べて整合性が増していた。冒頭の、のび太に騙されたことを知ったドラえもんがドラ焼きをやけ食いする姿も、原作以上の葛藤と怒りが表現されていた。
今回について書くと、すでに声のイメージが固まったためか各時間のドラえもんをことさら区別するような描写はない。もちろん各時間ごとに変化していく思いはきちんと演じ別けていたが。ドラえもんの発狂ぶりは原作を踏襲し、前回と比べて激しく暴れまわる。ただ工夫なく暴力的なわけではなく、押入れを使った立体的なアクションを見せ*1、アニメ独自のモンスター系ホラー演出だったところが良かった。前回もリニューアル初期らしく原作の絵柄を踏襲していたが、今回はさらにドラえもんの顎を突き出した表情などで原作を再現していて、それも原作ファンとしては楽しめた。逆にいえば、今回はアニメ独自の味つけは少なかったかな。白目をむくドラえもんが良かったくらい。
あと、前回と今回が原作から改変された共通点として、のび太が2階の廊下で寝ているところ。リニューアル後のアニメ設定でも、やはり2階には1室しかない設定のようだ。


「鏡の中の世界」は前半まで原作を踏襲しつつ、今年の映画でも用いられる秘密道具「入りこみ鏡」の機能を説明。さらに後半から独自の展開を見せて、映画および原作大長編だけに登場した「逆世界入りこみオイル」を使用してドラえもんも鏡面世界へ突入。「へやいっぱいの大どらやき」で登場した秘密道具「イキアタリバッタリサイキンメーカー」と「ドラや菌」を登場させ、怪獣映画のごときカタストロフを描き出す*2
完成された短編の後日談をふくらませて冒険談へ繋げるドラえもん映画のパターンと、同じ方法論を用いて、なかなかの迫力ある映像を見せてくれた。山中の木々や人家が押しつぶされる場面はアニメーションとしても出色。危険な実験を誰もいない鏡面世界で行うドラえもんには説得力もあるし、アニメ独自の解決法も映像として面白い。
ただ、途中でドラえもんが「逆世界入りこみオイル」を四次元ポケットへしまっているかのような描写が見られたのは、アニメ独自の瑕疵だ。押しつぶされる時に容器を壊された、といった描写を明示しておくべき。「逆世界入りこみオイル」があれば「入りこみ鏡」と共通の鏡面世界に出入りできるのだから、結末で出られなくなるサスペンスが発生することがおかしくなる。


映画『ドラえもん のび太の人魚大海戦は、ほぼアニメオリジナルの内容。しかしSFらしさはほとんどない。人魚や侵略者という設定に異星人というSF考証だけつけくわえればSFになるわけではない。異星人の人魚や侵略者というSF設定の上でしか成り立たない物語が構築されて始めてSFらしくなるものだ。
SF考証自体にも大きな瑕疵が見られる。作中で南半球へ御者座を見に行く描写には、すでに批判がくわえられている。
『のび太の人魚大海戦』にみるSF者的「業」の欠如+ドラにおける父親と母親 - Togetter*3

「人魚族が5000年前まで住んでいたアクア星は、五つの星が五角形に並んでいた」「五角形といえばぎょしゃ座だよね」「きっとそこだよ!」−恒星だから。人間タイプの異星人住めないから。地球から五角形に見えるだけで、五角形に綺麗に並んでるわけじゃないから。
Molice
2010-04-11 01:13:53
「今は夏。ぎょしゃ座は冬の星座だから見えないよね」「そうだ、南半球は今冬じゃないか!」「よし、どこでもドアで……」−時期によって見える星座が異なるのは公転位置によるもので、季節関係ありませんから。そもそもぎょしゃ座は位置的に南半球から見えない星座だから。
Molice
2010-04-11 01:16:02

実際には作中でも御者座は見えていないし*4、星が五角形という「伝説」は地球から見た星座が時代をへて変化したものと私は好意的に解釈したが、てっきり宇宙空間へ星座を見に行く展開になるとは思っていた。せっかく架空水面というSF設定があるのだから、宇宙空間で地上と同じ戦艦が戦うような展開になるのでは、だから人魚族は異星由来なのか、とまで期待したくらい。
全体を見ても、異世界の冒険はさほど楽しめない。異世界が現実に存在すればどのような思想を住人が持ち、どのような不具合や歴史を持つのかというイメージが、過去のファンタジーや『ドラえもん』からの引き写しにしか見えないのだ。そもそも映画『ドラえもん』が日常に異物がまぎれこむ序盤ばかり力が入り、対照的に異世界のリアリティが逆に薄れてしまう問題は、原作者没後の共通課題だ*5
逆にいえば、近年の映画でくり返されている描写の変型とはいえ、人魚族の姫ソフィアが街にやってくることの楽しみは相応にあった。活発でいて育ちの良さを感じさせる、健やかな少女。人魚であると明かされる場面には、往年の人魚映画『スプラッシュ』を思い出す。のび太達の魅力よりも、ソフィアをとりまく人々の成長が描かれた作品と見れば、そう悪い出来ではない。ソフィアが積極的に戦闘へ参加して、最後に敵首領との一騎討ちにいたる感情の動きは自然だ。活発という描写にとどまらず、剣を扱う能力があることを初登場以降ずっと描写しておけば、なお良かった。
今年の侵略者はコメディ描写で安っぽくはならないところも好印象。しかし星々を荒らしてまわる侵略者が、大規模な激しいアクションを行った後とはいえ、等身大の決闘で敗北して決着がつくのはスケールが小さい。侵略者の人数から見ても、せいぜい海賊団1つ程度の規模としか感じられなかった。むしろ実際に、敵は宇宙海賊という程度の扱いで良かったとも思う。
ちなみに作画は全体を通して安定しており、3DCG多用とうたわれた水の描写でも手描き作画ならではの迫力が味わえ、アクションの分量や配置も教科書的といっていい。演出も一定の水準を保っていて、どこか極端に落ちることはなかった。しかし絵で表現できているからこそ、モニターに映った敵首領を指して「なんて醜い」と評したり、最後のアイテム使用時に「綺麗」という台詞が連呼されるべきではなかった。海中世界をイメージ的に処理して説明を排するくらいなら、心情を言葉で説明しなくてもいいように気を配ってほしかった。


物語には異世界冒険の面白味が薄く、SF考証の瑕疵もあったが、全体としては記念大作だからと背伸びせずに手堅くまとめていたと思う。文句をつけたが、見ている間は楽しめたし、後味も悪くはない。
ところで、もう映画はTV放映でEDカットされることを前提にして制作してもいいと思うんだ。ED主題歌が流れている最中にぶつ切りにしてED後へ無理やり繋げた『新魔界大冒険』ほどひどくはないが、今作品も余韻のなさがきびしい。

*1:押入れは前回のアニメ化でもアクションで用いられていたので、さらに進化したといったところ。

*2:「ドラや菌」は意思を持って動くわけではないが、巨大化して増殖するだけで被害をもたらすタイプの怪獣映画もある。『モノリス・モンスター』等。

*3:本題とは別個に、のび太のママがリニューアル後に存在感を増しているという指摘は納得。たしかに『人魚大海戦』でも、ドラえもんとドラミへたのんだ買い物に、それぞれの好物も入っていたという描写が印象的に反復されている。

*4:しかし育児ロボットとして科学知識には強いドラえもんならば、どこかの場面できちんと誤りを指摘して当然だとも思う。

*5:特に渡辺歩監督は、日常世界のリアリティについて日本トップクラスの演出力を持っていると思うと同時に、異世界のリアリティ構築に興味が薄いように感じる。例外は映画『のび太の恐竜2006』くらいで、評価の高い作品が多いTVアニメ担当でも欧州の城を舞台とした「ゆうれい城へひっこし」はホラー描写を完全に削いだことで不評意見が多かった。私も欧州の日常生活を原作以上に描写していたことは良かったと思いつつ、アニメ独自のコメディ演出には困惑した。http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20081231/1231375444